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住みやすいけど、生き辛い。

 

 

 

ちょっとだけ重い内容です。

 

 

唐突ですが、私は父が苦手です。

 

 

私が6歳の頃に起きた事件がきっかけなのですが、
その詳細※は正直重すぎますから割愛致します。

※このブログサイト内に綴っていますので、
興味がある人はくまなく探されてみて下さい。

 

 

事件当時のことに加えて、父にはどうやら昔から無神経に
いつのまにやら人を傷つけていることがあったらしく、
母もそのことをいつまで経っても根に持っているようです。

 

 

そんな母に対してもいつの間にか不信を持つようになり、
両親揃って苦手な部分を私は受け継いだのかなぁと、
時おりネガティブに考えてしまうときがあります。

 

 

そのまま大人になってしまったのですが、
今でも『大人を怒らせるとろくな目に合わない。』
…というトラウマが残っています。

 

 

ですので、変に他人に気を遣い過ぎた結果、
『君をどう扱ったら良いのか分からない。』とか
『意見をちゃんと言った方が良いよ。』とか偉そうに言われてきました。

 

 

そう言ってくる人たちが、気を遣わずオープンな家庭や
生い立ちで生きてきたのだと分かれば嫉妬しましたし、
私みたいな家庭で生きてきた人間のことなど理解できないのだろうなと、
気分が最悪なときはぶつけようのない怒りに悩まされました。

 

 

それでもご立派にご飯を喰らい、服も着て、今日も生きることが
できているのは、不仲なりに耐え忍んで夫婦・家族生活を守り続けた
両親の努力の結晶そのものだと考えるようにしています。

 

 

悪いように考えるだけならバカでもできますので。

 

 

だから地元も実家も、ここで人生デビューした私の帰る場所なんです。

 

 

 

 

 

 

住みやすいのは確かなんだけど…。

 

 

それでも『地元好き?』と聞かれれば答えはNO
家庭環境が派生したせいか、地元の学校も嫌いですし、
聞き分けの良い優等生もプロレス技をしかけてくる不良も、大嫌いでした。

 

 

途上国で働いて暮らした経験のある私ですが、
たしかに、『日本のありがたさ』は十分身に染みたものです。

 

 

家に帰れば、全てがあります。

 

 

シャワーにベッド、テレビにWiFi。
季節が変わればエアコンにストーブ…。
気が向いたらカフェで悠々自適にノマド気取り…。

 

 

確かに住みやすいんですけどね。…たしかに!

 

 

それでも『地元好き?』という問いにはやっぱりNO。
バチあたりですかね(^-^;

 

 

NOという答えに至ってしまう以上、理由があるのです。
それは『生き辛いから。』

 

 

 

生き辛いのって何で?

 

 

両親には感謝しつつ、地元が好きになれないのは、『生き辛いから。』
そもそも、何でなんでしょう?

 

 

 

『子孫繁栄は、社会に貢献するためなんだ。』

 

 

 

これは父が昔ドヤ顔で私と姉に言い伝えた言葉です。
…他意はなかったのだと思います。

 

 

事実、父ががんばって働いてくれたおかげで、
私も姉も今の時代を何とか生きることができているのですから。

 

 

父は自分自身に誇りをもっていたのだと思っています。
それは父の勝手です。

 

 

ただ、(姉はどうかわかりませんが)少なくとも私は、
社会貢献がすべての人生なんて、これっぽっちも望んでいません。

 

 

誰かを愛して、誰かに愛されることが人生なんだと、
どこかで信じたかったのだと思います。

 

 

…というキレイごとに加え、
子供のトラウマ呼び込んでまで貢献するための社会なんて、
クソくらえって思ってました。

 

 

私はトラウマを抱えている人間ですから。

 

 

だから人生全てに恵まれたエリート人間を見れば
壊してやりたくなりますし、『仲間』とか『絆』なんて
耳心地の良い言葉は真っ先に疑う性格になりました。

 

 

嫌になりますけど、これが『生き辛い』理由です。

 

 

 

一度日本を脱出して変わった。

 

 

フィリピンと言う国は平均年齢が23歳と大変若いです。

 

 

 

『老害』などという悪い言葉なんてどこにも無いんじゃないか?
…というくらい若いです。道を見渡せばほぼ必ず子供を見かけます。

 

 

この国で私は語学を習得して、勤めてお金を稼ぐ能力も身に付けました。

 

 

日本みたいに何でも揃っている国ではありませんでしたが、
くだらない精神の消耗・ストレスが激減したことは覚えています。

 

 

『こんな歪んだ自分でも、生きていて良いんだ。』と、
冗談抜きで素直に心からそう思えました。

 

 

その時から、『生きていく意味』を再確認しました。
社会貢献は二の次で、社会貢献のためにはやはり、

 

 

 

誰かを愛して、誰かに愛される。

このことが大前提じゃんって思いました。

 

 

 

私には現地フィリピンに彼女がいます。
現在日本に居る私を懲りずに信じ、励ましてくれています。

 

 

 

 

そして、私の抱えているトラウマのことも理解してくれています。
彼女の側で、全てが嫌になって肩が震えるくらい泣き叫んだこともあります。

 

 

人生を生きる意味は、たしかに社会貢献も一つです。
それでも貢献する方法は、十人十色なはずです。

 

 

社会貢献とは、夢や野望を諦めて体の良い歯車になるためのハウツーや、
挑戦したことがない人が言う適当な言いわけを受け入れることですか?

 

 

それは違うと、信じたいです。

 

 

だから私はやっぱり、
日本だけに引きこもって『生き辛さ』を引きずらないよう、
今日も能力を高める努力をしていきたいと思っています。

 

 

『命の幅』を体現するために。

 

 

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