友達が多いことが正義なんですか?
本記事は何となく『友達』がテーマです。
写真は、フィリピンにいる友人が帰国前日にくれた
『ストレス・リムーバー』です。
こうやってクルクル回すと気持ちが落ち着くんだとか。
ちなみに思いっきり回せば2分間は回り続けます。
↑効果の有る無しは置いておいて、その気持ちがすごく嬉しかったです。
友人のアパートは空港の目の前だそうなので、
お返しに耳栓を送ってあげようと思います。
最後にマニラのYOSHINOYA(吉野家)で一緒に食べた夕食。
(吉野家なのにラーメンを注文(^-^;)
こんなことを書いてしまうと陰険かもしれませんが、
私は『友達』と呼べる人が少ないです。
『そもそも、友達って何?』
ムダにくそ真面目な性格が手伝ってか、
そんなことまでたまに考え込んでしまいます。
昔海外で知り合った日本人も、
『そいつ、俺くらいしか友達がいなくてさぁ…』
なんてことを口にしていました。
何を根拠にそう決めつけているんだと思いますが、
あたかも友達が多いことが正義かのような物言いです。
友達が多いことは正義でもありません…かと言って、
一方的に否定されるべきことでもありません。
友達が多ければ、味方になってくれる人が多いハズですが、
逆に誰を信じて良いのか解らず疑心暗鬼にもなります。
さて、これから書くことは賛否あるかもしれません。
私の価値観や考えが、やはりただの『陰険』と捉えられるか、
それとも共感をしていただけるかどうかは、分かりません。
それでもここで落とす言葉は、読んで下さった
あなたの解釈に委ねてしまおうと思います。
独りでも良い。
私は自分のメルマガでもお話しているとおり、
自由を知り実現するためには『他人の雑音』を
完全にシャットアウト(遮断)しましょうと唱えています。
極端な話、自由を実現したいという『本気度』を
余すところなく100%表現したいのであれば、
一度独りになってみることも正解だと思うのです。
私が追っかけていたロックバンドのギタリストも、
世に認められるまでは1年間以上ニートの時代を
経験していたと聞きます。
彼が時を経て音楽で成功できたのは、
他人の雑音を完全に無視したからです。
これが『雑音の遮断』が正しい選択であることの
一つの例です。徹底していますね。
自分独り、未来を信じた行動だと思います。
独りでも、良いんです。
特定少数でも良い。
誤解なきよう述べますと、
何かを成し遂げるためには『独り』では限界があります。
だからこそ、友達の存在は大切なんです。
さっきまでと言ってることが矛盾してるじゃん!
そんなふうに思われたかもしれませんね。
では、補足します。私の実例をお話しますね。
私は雇われの身がいよいよガマンできなくなり、
脱サラしてネットビジネスで起業しました。
しかし私の身の周りにはネットビジネスで食べている人は
一人もいなく、早速孤独な日々が始まりました。
そこで手を差し伸べてくれた人が、定期的に会ってくれた親友たちです。
このとき、私は思いました。
普段は『広く浅く』常になぁなぁで群れることよりも、
いざという時に手を差し伸べてくれることの方が良いと。
特定少数の方がしがらみが少ないんです。
不自由だらけの環境とは?
私個人の考えですが、
不特定多数のしがらみほど、不自由はないと思ってます。
例えばこんなことです。
@:まあまあ仲の良かった友達に貸したお金が、
いつまで経っても返ってこないということもあります。
お金のことだからキッチリしたいのですが、
本人の気を損ねないよう聞き方を考えなければいけません。
A:『前に一度会ったよね?』なんて声を掛けてきた人が、
申し訳なくも全く心当たりありません。
相手を傷つけないように気を遣わないといけないし、
正解を脳内フル回転で探さなければいけません。
正直、不自由です。
この『不自由』は、社会人になっても引き継がれます。
・望んでもいない宴会・飲み会・懇親会
・世直し気分のタチの悪いクレーマー
・上下関係に欠かせない気遣い・言葉遣い
・どこにいても捕まってしまうスマホ・パソコン
・ガマン大会のように目的化した残業
みんな、一辺に押し寄せてきます。
まさに『広く浅く』の友達関係は、上記の確定事項を
体よくこなすための予行演習のようです。
味方は、いつの間にか増えている。
この記事は友達の有り方『特定少数』派の人にとっては
共感していただけるものだったかもしれません。
逆に友達が多い人にとっては、私のことを
『そんな考えだから、あなたは友達が少ないんだ。』
と思われたかもしれません。
結局『広く浅く』・『狭く深く』どちらが正解なんてありませんし、
人の人間関係だって十人十色で良いと思ってます。
しかし、本人が『私なんて友達少ない』と思っていると、
相手に『友達と思ってくれているかな?』なんて不安を
感じさせてしまっているなら、それは寂しいものです。
ですので、私も自分で自分のことを『友達少ない』
なんて言うのは、この記事だけにしておこうと思います。
(※訂正:ここでもしちゃってます。)
実は自分の信じたことを貫いていれば、
いつの間にやら味方は増えているものです。
だからこそ、先述したニートだった人が世に認められる
ギタリストになれる現実があるのです。
本当に大切なことは、その『いつの間にやらできた味方』を
つかんで離さないことだと思います。
人間関係って、不思議ですね。
何故か陰険な人の味方になる人もいれば、
根拠なく一方的に嫌う人もいます。
社交的な人を心から好む人もいれば、
そのあと平気で裏切る人もいます。
『あの人と仲良くなりたい。』なんて
自分が強く願っても最後は思い通りにならなかったり、
友達になれたはずの人が口にした心無い言葉を
一言聞き入れただけで、アッサリ嫌う事もできます。
思い通りにならなかったり嫌ってしまうのは、
相手のせいではなくて多くの場合は自分が未熟だからです。
ただ、嫌いになったものも自分の努力次第で
再び好きになることだってできます。
自分の問題です。
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