『人をいじるキャラ』とかいうド図太い人。
2か月以上も前ですが、私が英語を教えた浪人生の進路は決まった頃かと思います。
あれ以降音沙汰ないので、結果は明るくないのかも。まぁ、それも人生です。
進路が決まろうが決まるまいが、学んだ知識はそのまま能力になりますので、
『失敗』をいちいちマイナスと考える必要は全くないと思います。
それよりも心配なのは、新生活のほう。
この時期、心機一転環境が変わっちゃう人が多いと思います。
大学生とかにはありがちなんですけど、
何とかして底辺な立場を避けるためにやるのが、『キャラ作り』。
いわゆる、大学デビューとかいうやつですよ。
明らかに間違った自我が、カスタマイズされてしまいます。
そのなかでも警鈴鳴らしておきたいのは、
いじられる vs いじる
…について。それでは参ります。
『友達100人できるかな』←できたら鬱陶しいだけ。
過去をふり返る限り、私は『天然』と称されることが多かったのですが、
そもそも『天然』の定義自体よく解ってなかったので、
『じゃあ、お前らは全員人造人間なのか。』と考えていたくらいです。
そんな性格が災いしてか、そんなに友達は沢山できませんでした。
こっちから距離をとることもあったからだと思います。
それでも『友達が少ない』自分をイヤになったことはありませんでしたね。
むしろ今から友達が増えるかもしれない!国境関係なく。
30年ちょっとしか生きてきませんでしたが、
『友達100人できるかな』は、別にそんなに大事じゃないなと思うわけです。
逆に不自由で鬱陶しい。極端に言えばね。
『おれはこういうキャラだから!』はその人の限界。
人って結局他人が気になる生き物だから、
それがオーバーキル化して『いじる』とか『いじめ』になるでしょ。
誰だって『いじめられ』たくないから、
底辺に落ち込まないように必死で自分をカスタマイズする!
その間違ったカスタマイズの仕方が『いじりキャラ』とかいう、
意味不明・理解不可能なもの。
私が人生30年ちょっと教育機関や学校、社会を見回ってきたかぎりで、
特に自律が幼い若者はこんな『キャラ作り』に必死です。
(いい歳したオッサンですらいますけどね。←こういう人はもう末期)
『おれ/私は、○○なキャラだから!』
これは立派に自分で自分を『もう限界ですよ。』と決めつけているようなもの。
限界感じながら生きている人とは、関わりたくないな…。
『人をいじるのがキャラ』とは、いったい何様なのか。
人生で一度『人をいじるのが、俺のキャラだから!』
…って、面と向かって伝えられたことがあります。それも真剣な顔で。
それ口にできた相手のことは、今でも忘れられません。
どう考えてもそれ言える図太さは、私にはない。
もうね、『王様か。』と。
いろいろ思考停止してるか、限界なのかなと…。
たぶん、私が一生言える台詞じゃあないんだろうなと思いました。
私が言いたいことは、
『人をいじる』のも、「配慮してソレやってんのか?」ということ。
たぶんやってない。だから図太いまんまなんだよ。(当然悪い意味で。)
…で、犠牲者続出。
当事者は『キャラだから!』で済ましてます。
自分の快楽のことしか考えてない。これじゃ猿と一緒。人間ならもっと先進めよ。
王様どころか、『何様』だ。
…というお話。
勝手に自分に限界作って、間違ったカスタマイズはしないこと。
周りにそういう連中いたら、切り捨てること。これが一番。
新生活・新環境は慎重に (*^^*)
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