試験で合格できない・高得点がとれない人は落ちこぼれなんかではありません。
採用・昇格の基準のために社会はいろんな資格試験を私たちに課します。
『〇〇点以上は合格・昇格・昇給』…といった具合にですね。
私は学生・社会人の人生を通じて、色んな人と出会いました。
『こんなに権威のある人なのに、全然勉強できないんだな…。』
『この人、こんなに優秀なのに、何でまだ平社員なんだろう?』
『勉強はできるんだけど、マイペースすぎて仕事には向いてないな…』
『仕事はできるけど、もうちょっと人のこと考えた方が良いんじゃないか?』
本当に世の中には色んな人がいます。
そんな世の中ですが、『試験で合格・高得点保持者が何となく良い』ようです。
正直、あまり良くない風潮だなと思います。
合格者・高得点保持者が正義?
試験で合格・高得点保持者が『何となく良い』
これは本当でしょうか?
私には、県内で2番目にレベルが高いと言われている
公立高校に合格した友人がいます。
ある日、『時間が合えば食事しよう』という話になり、
その時お互いの悩みを語り合いました。
すると友人は、『どの職場に行っても孤立している気がする。』
素直にそう打ち明けてくれました。
『県内で2番目にレベルが高いと言われている公立高校に合格した。』
世間一般で考えると『勝ち組』のようなその友人ですが、
月日が経つと転職をくり返すうえ、どの職場でも孤立してしまったのです。
その他にも、TOEIC900点台・加えて他国語も話せる優秀な人が、
精神を削られるまで会社に使い回され退社を迫られたケースもありました。
一見『成功・勝ち組』のような人生も、180°変わることがあるのです。
誰もが『良い』と信じているものが、正義とは限らない。
誰もが『正義』と認めるような、『資格合格・高得点』を得て、
『昇給・採用』というエサにすがることが成功でしょうか?
そして、良い様に会社に使い回されたり、
精神を病むまで苦しむ未来を、誰が望むのでしょうか?
私は『資格試験で合格・高得点を目指すのはやめろ!』
と言っているのではありません。
『合格・高得点だけが、幸せをもたらさない。』
『正義を手に入れたなどと、勘違いするな。』
そう伝えたいのです。
もちろん、自分自身のため・挑戦するためにやっていることであれば、
ぜひそうすべきだと思います。
しかし、仮に目標にしている『能力』を手にした以上、
それにともなう世間の目・責任・自分へかかってくる負担を、
もう一度よく考えるべきだということです。
当然その能力をもって、
得られる自由と不自由があることも、お忘れなく。
不合格者は、落ちこぼれなんかじゃない。
そういうわけで、
『合格者・高得点保持者』が、必ずしも幸せになるとは限らない。
このことは、ご理解いただけたと思います。
そして、
『合格できない、高得点が取れない』という人は、
落ちこぼれなんかではありません。
ちなみに私は高校・大学受験と2回連続で
第一志望に落ちています。
人間の本能とはとても優秀で、
『自分の幸せや自由に関係しないことはインプットしない』
そのようにできています。
私も過去にいろんな資格試験を受けは落ちたものですが、
その中でも今の自分の幸せと自由に関係ない本は、
見事にブックオフへと消えてなくなりました。
私は35歳までにTOEIC800点を目指すと決めていますが、
今はとりあえず、距離を置いています。
たとえ今達成したとしても、
それはただの自己満足で終わることを知っているからです。
高得点だけ獲ってあとは満足して思考停止することほど、
中途半端でタチの悪いことはありませんからね。
ひょっとすれば、
5年後にはTOEIC高得点者の市場価値は低いかも知れませんし、
すっかり興味を失くしているかも知れませんしね。
(と言うより、今の時点でもほぼ興味が無い…。)
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