『迷惑かけたくない』という遠慮の呪縛。
私が学生時代のころのお話を少し。
私には『しょっぱい過去』としか表現できない学生時代があります。
それは希望の大学受験に失敗したからとか、
かわいい彼女ができず青春のムダ使いだったからとか、
目に見えることだけじゃなかったんですね。
(まぁ上の二つだけでも既にしょっぱいですが。)
長く私のブログにお付き合い下さっている人は
もう既にご存知かもしれないのですが、念のため。
私は13のころからこんな気持ちで学校という世界に通っていました。
やたら聞き分けの良い優等生がキライ
無実の子にプロレス技を仕掛ける不良もキライ
管理教育を忠実にインストールできないから自己嫌悪
親が期待するだけの成績も取れないからもっと自己嫌悪
こんな出来の悪い自分をよくも両親は見捨てず、
お金を落としていってくれたものだと思います。
お陰で自分の居場所があるんだかないんだか、
良く分からない気持ちで過ごしていました。
行く意味も解らず学校に毎朝向かい、
受ける意味も分からない授業に参加していました。
終わらせたい
…と毎日考えていたものです。
それでも大学に進むまでは、
『絶対登校拒否だけにはなるまい。』
そう心に決めて意地でも学校に通い続けていました。
全ては身を削ってくれた両親に迷惑をかけないためです。
こう表現すれば『弱さを親のせいにしている』
そう思われるでしょうが、正にその通り。
親のせいにしてたんです。
あと『登校拒否』が、
何だか『負け』のような気がしていたんだと思います。
今よくよく考えてみれば、くだらないなぁと思います。
だから今は、人生で一番つまらなかった高校時代のクラスメイトとは、
会っていません。会う理由もありません。会うメリットもありません。
(わざわざ会って楽しいわけがありません。)
私の人間関係の不適合は、既にこの頃から始まっていたようです(^-^;
心から『楽しかったな』とようやく思えたのは、
大学で研究室に引きこもり始めたころでした。
好きな時間に研究室に向かって、
好きなだけ研究に没頭して、
研究がヘタで誰からも文句言われませんでしたし、
『もうイヤだ』と思えば1週間は平気でサボりました。
それでもなぜか最後は賞までいただくことができました。
なぜだか解りませんけど、こうなったんです。
わかっていることはただ一つ。
何も遠慮しなかったことだと思っています。
別に学歴とか楽しかった経験を自慢しているわけではありません。
『迷惑かけたくない』とかそういう遠慮の気持ちを排除すれば、
好きなことに集中できるし、キライなことも避けられるということ。
そのまんま自由ってことなんです。
しかも先述どおり賞のようなオマケまでついてきます。
(コレはたぶんたまたまだったのだと思っています。)
色々ガマンしてきた時代に戻ることができるなら、
間違いなくちがった行動を私は起こすかもしれませんけど。
今となれば、そのしょっぱかった過去すらも愛おしいものです。
その理由は『遠慮という呪縛から解放されたから』だと、
自分自身そう胸を張って言えます。
ここまで読み進めて下さったあなたは今、
何かに『迷惑をかけたくない』と遠慮していませんか?
そして、それが呪縛になっていませんか?
いきすぎたガマンは、自由にはガンですよ。
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