脱サラして自由になる決意をしたきっかけ
ブログのタイトル通り、
わたしは脱サラした30歳男性です。
周りの雑音を、感じ取ることもあります。
常識
社会
世間体
老後
…ですが、何故なのか私の家族も友人も彼女も、
無言で私の決断を受け入れてくれています。
自由に人生をささげる決意をした理由
私の家族、友人、そして彼女も、
自由を求めて脱サラした私の判断を、決して反対しません。
それは、これまでの私の苦労と経験を共有してくれているからです。
不幸自慢ではありませんが、以下は一例です。
・肩が上がらなくなる肉体労働のち、
診断書を上司に拒否された(労災を下す気がない。)
・フィリピンにて、ろくに英語ができない日本人上司に、
『お前のやってることは仕事の合間にやる程度だ。』と言われた。
・引継ぎ無く国内外の営業展開をひとり任され、再び体を壊した。
細かいことになれば、上述のほかにも山ほどあります。
自分が積み上げた努力・誠実・プライドは、
すべて特権階級のもと、カンタンにぺしゃんこにされることを、
身をもって味わったのです。
『恨み・憎しみからは何も生まれない』は、大きなウソ。
キレイごとのように、
『恨み・憎しみからは何も生まれない』
などと言う人はたくさんいます。
…が、
私はコレ↑↑↑大ウソだと考えています。
そもそも、恨み・憎しみがこの世から無くなれば、
戦争も、宗教も、教育も、娯楽も…全てが不要になるからです。
良いように考えれば、
恨み・憎しみをバネにして、自由や成功を手に入れる人もいるのです。
もちろん私も、口にしてはいけないほどの『恨み・憎しみ』を持っています。
・あの日平気で裏切った友人
・最初の職場の上司
・フィリピンでの日本人上司
・私の体調など気にかけなかった部長
私にも、ちっぽけながら守るべきプライドはあります。
『見返す』などということにも、興味は無い。
思い返せば見返してやりたい人はたくさんいます。
しかし、私が自由をつかみ取ってからは、
正直、どうでもよくなりました。
自分に正直に
自分を大切に
自分に忠実に
考えて行動すれば、
『見返す』ということにはもう、興味すら無くなるのです。
ただ今考えれば、
そのにっくき、彼らがいたからこそ、
自由をつかみとる努力と達成感を味わえたのかもしれません。
思い起こすたびに、にくらしいものですが、
全ては今日の日のためだったと思えれば、
受け入れても良いのかなと思います。
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