同じコトをくり返すのがキライな人は、世間に価値を届ける経験フェチになりましょう。
寝ても明けても、同じ毎日
良しも悪しも、同じ毎日
幸も不幸も、同じ毎日
特に会社という組織にいる以上、
同じ同僚
同じお客様
同じ業務
自分一人いなくても、
何だかんだどうとでも回る社会です。
人とちがうことしたら会社に長く居られないのかな?
私は会社員時代こんな気持ちで、
『この職場を去る日はそう遠くないな。』と毎日考えていました。
とにかく、何でもやりたかった。
好きなことがあって多趣味な人は特に、
自分の時間を確保したいと考えるのが自然です。
しかし、世間体や給料と引き換えにその大切な時間が失われては、
その人のモチベーションや生き方に悪影響を及ぼします。
静かな反骨精神の塊でした。
翌日がいかに早かろうが、
好きな音楽を聴くためなら深夜着のバスに乗って遠征したり、
残業の空気であろうが大切な家族や友人との約束のためなら、
目もくれず帰宅。
『西野、今晩予定あるのか?』
…予定があるから帰るんですけど(^-^;
とにかく自分が『好き』と思えるものには、
誰が何と言おうと何でも徹底して寄り添いました。
そして不自由を早い段階で感じていました。
自分は、集中力が無いのか?
ある日、こう考えました。
『自分は、集中力や根気がないのではないか?』
同じコトをくり返す毎日にうんざりして、
空気を読まず動いたり、ひたすら好きなことにしか気持ちが向かない。
そんな自分は、完全に社会不適合者だと思っていました。
それでも何かの形で社会に貢献しなければ、
一体何のために親にここまで育ててもらったのか?
そして何より、下手なりにがんばって生きてきた自分のプライドはどうなるのだ?
なおのこと仕事には集中できず、
悶々とした日々を過ごしていました。
グルグルグルグル、迷いが巡ります。
利点凝視は、価値に繋がる。
さて、何ごとにも手を出しては、
同じコトに集中できない私でしたが、
一つだけ気付いたことがあります。
利点凝視です。
利点凝視(りてんぎょうし)とは、
そのまま『人や物事の良いところに目を向ける』ことです。
何ごとにも好きなことに一直線だった私には、
利点凝視の力は、少なくともあったと自負しています。
良いところに目をつけることができるのなら、
それを世の中に価値として発信する仕事にできないかな!?
今でこそ言葉で綴れますが、
昔からこんなことは考えていました。
そして、逆に同じコトばかりくり返していては、
当然悪い点もたくさん見えてきます。
それは『他人に依存して生きる環境』の、
不自由な人たちと時間を共有していたからです。
情報を制すれば、自由とお金に愛される。
今は本当に便利な時代になりました。
技術が進歩して人が本当の意味で自由に生きていける世の中です。
しかし、情報を制した気になって人間味が失われてはいけません。
何かと情報に精通している気になった人は、
人の提供してくれる『価値』を素直に受け入れません。
要するに、人が与えてくれた情報に対して
『あぁ、そんなの知ってるよ。』と、無神経に口にできる人のことです。
既に知っている情報であっても、
他人の価値観や考え方は知り得ないと考えるので、
『その人がその情報を知って、どう感じるのか?』
これが大切です。
人と物事には、他の何者にも
『完全コピーできない価値観』があるからです。
経験フェチの人は価値観を広める仕事が天職です。
利点凝視の心がまえも大切ですよ(*^-^*)
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