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つべこべダラダラ述べただけの記事

 

2024年10月24日

 

 

某SNSのサービスが教えてくれた5年前の今日、
私はベトナムの高校生たちに「なんちゃって剣道」を教えていたそうです。

 

 

 

まさに光陰なんとやらです。
私のようなボーっと生きている人間にとっては、
あの日々の輝きは眩しすぎるほどです。

 

 

 

さて、本稿は、
私のような地位も資産もモテ偏差値もド底辺の「ダサオジ」が、
一体全体どうやって世の中を渡っていくべきかについて。

 

 

 

「またダメだった」とか「やめたら」とか「好きだ」とか「試験だ」とか。
ダラダラ記してみたいと思います。

ちょっとバックボーン

 

社会不適合者の私が若気の至りでフィリピンへ旅立ち、
そして泣いて帰国してくる出来事から10年程度経ちました。

 

 

 

それ以降も語学を遊び相手にして、
今も「自由」と「自己責任」の狭間で生き続けています。

 

 

 

それなりに@楽しいし、A苦しいし、
Bこじらせるし、Cひらめくし…
何かもう、めちゃくちゃです。

 

 

 

まぁ、この@ABCがあるお陰で、
ドロップアウトした者なりの感性があるのです。

 

 

 

私みたいな人間でも、
『ここにいるぞ!』って伝えたくて、このブログは続いています。

またダメだった。

 

最近、とある語学試験(っていうかTOEIC)にチャレンジして、
結果だけをサラっと述べると、またダメでした。

 

 

 

私なりの小さな目標は、
地頭が良かったり、努力ができる人たちにとっては、
本当に大したことじゃない。それは嫌というほど分かります。

 

 

 

そんな小さな目標でも、達成したかったけどダメだったんです。
心から傷ついて、虚無感でいっぱいになりました。
今も進行形で、自分を慰めるコンテンツを漁っています。

 

 

 

それでも不思議なことに、
「どーせムリ」という気持ちにはなりませんでした。
こういうときに私は必殺技【人のせいにする】を使います(^^;

 

 

 

こじらせのダサオジは、
こういうときにズルいことをひらめいとかないとね。

向き不向きってことにしよう。

 

物ごとには向き不向きあるんだと言いますが、
私は本心からそう信じたいです。

 

 

 

試験だけじゃなくて、仕事も人間関係も、
極端な話生きている時代や国にだって、ある。
きっとそうだ。そうなんだ。

 

 

 

だって私が身分制度の根強い国とか時代にいたら、
たたっ斬られてると思います。
権威と私は、水と油の関係ですから…。

 

 

 

色々と脱線しましたが、
私が今抱いている傷心と虚無感には、
何かしらの意味があるはずなのです。

やめたら…。

 

私は相変わらず日本語教師を生業にしています。

 

 

 

やり様によれば楽な仕事ですし、
権威やエゴでやればバカみたいな仕事ですし、
学習者に寄り添えばいくらでも苦しめる仕事です。

 

 

 

カッコつけるつもりはありませんが、
目下語学試験でズッコケた私は、
今のところ学習者の気持ちに寄り添えると思っています。

 

 

 

徹底して練られた教材や、カリスマ講師の授業、
横を向けばハイスペックな親族や友人・知人がいる。
そして、どんな逆境も乗り越えられるメンタル…。

 

 

 

↑こんな学習環境や精神を持ってる学習者ばかりじゃない。
少なくとも私は、ちがいます。もれなく揃っていません。

 

 

 

それでも語学、
延いてはこのみっともないダサオジクソ人生に向き合うしかない。

 

 

 

だって、やめたらつまらないんだもの。
やめたら、好きなことやれないんだもの。
やめたら、好きな人に会えないんだもの。

 

 

 

壊れるまでがんばるつもりはないけど、
全てを終わらせたくてあきらめるつもりもないです。

「好き」は捨てちゃいけない。

 

私はわりと幼い時分から語学に関わってきました。

 

 

 

きっかけは、「ラジオえいご」。
今思えば、あの日々は純粋に語学を愛せていたと思います。

 

 

 

そして、はじめの到着点は、フィリピン。
親切なフィリピン人たちと交流できたし、
一生忘れられない大切な思い出もできました。

 

 

 

それがいつしか、
「受験」だ「資格」だ「就職」だ、そして、
「人の優劣」だと雑音だらけになって、
私の英語への愛はグチャグチャになり始めました。

 

 

 

たしかに、「受験・資格・就職・優劣」において、
語学力が役に立ってしまう側面はあります。
私もときどき、自分を見失うときがあります。

 

 

 

何かを達成できなかったとき、見失った結果、
自分の価値を疑ってしまう。コレがマズい。

 

 

 

今後私が仕事を通じて役立てることは、
こういった深層心理じゃないかと思うのです。

 

 

 

そもそも、どうしてこの世界に足をつっこんだのか?
「好き」だからじゃなかったっけ?
自分を追い込むためなんかじゃないのに。

試験の「ものさし」

 

資格試験は、錯覚資産になってしまうこともあります。

 

 

 

たとえば、英検上級者やTOEICのハイスコアラーが、
実際の英会話でそこまで話せないことはわりとよく聞く話です。

 

 

 

そして私が日本語教育能力検定試験をもう一度受ければ、
また必ず合格できる保証もありません。
(そもそも4時間も受験することが、もぅたいぎぃわ…。)

 

 

 

私のものさしで語れば、
試験は試験用の運用能力でしかないわけで、
情報処理の速い遅いは、試験という限られた環境でしか測れません。
試験は「速けりゃ正義」。これ一択です。

 

 

 

実際の情報処理とは、
時間制限があるせいでトラブルになったり、
処理して打ち出した答えには正解がない場合すらあり、
さらに関わる人たちの無限の価値観も絡んできます。
その日〇(マル)だったことが、翌日には×になったりします。

 

 

 

言い訳がましい物言い↑かもしれませんが、
我々が我々自身の目で見ているこの世界は、
クリアできる方法が分かっているゲームではないはずです。

私ができること。

 

私もいよいよ年相応の段階に進まなければなりません。
今更ですがハッキリと「できること」を明確にしたいと思います。

 

 

 

そして、新たな習得をあきらめるつもりはありませんが、
今のクソスペックで、世の中に向き合わなければいけません。

 

 

 

私は個人的に、今の日本人の働き盛り世代には
ろくな感情を持ち合わせていません。

 

 

 

連中は長く働いたり群れたりすることで圧力を与えてきますし、
自由を謳う私には、歪んだ仲間意識のもと容赦しません。

 

 

 

今後こういう連中が日本社会をリードしていくわけですから、
そのなかに一石どころか二石も三石も投げ続けないと、
日本には量産型ばかりがはびこってしまいます。

 

 

 

そんな超絶鬱陶しい国にならないように、
価値観をごちゃまぜにして、日本人を良い意味で壊してほしい。
それができるのが、外国人の皆さんだから…。

 

 

 

そんな気持ちで私は日本語を広めたいと思います。
…私の方が歪んでるな、こりゃ(^^;

 

 

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