Vol. 28 帰納法と演繹法
2020年8月6日
COVID-19の勢いが止まりませんねえ。
モチベ維持とサイフのご機嫌伺いに暮れる、西野です。
そして、本日で原爆投下後75年です。
日本や世界の特権階級層のお方々は、
リップサービスするために広島に来たのでしょうか?
相変わらず「矛盾」と「お祈り」は、お上手のようで…。
さて話は変わり、
本稿は日本語教育能力検定試験がらみの内容です。
ほんの2年前くらいは必死こいて覚えていたことです。
どえらいもんで、忘れ始めているんですよねぇ。いかんいかん。
こんな状況にも関わらず、
懲りずに今後も海外を目指す私ですので、
せめて学んだことはふり返って自己研鑽しておきます。
嫌々やるときっと続きませんので、
私個人として好きだったり気になったりしたことを中心に。
帰納法と演繹法って、つまりはどういうこと?
さて、この度の自己研鑽は、
知らないようで、普段からいつも使っている。
対人や物事に関わる言語心理学、
帰納法と演繹法
(きのうほう と えんえきほう)
これについて振り返り認知と個人的見解を、
「あーでもない、こーでもない」記していこうと思います。
因みに私が受けた検定試験(平成30年度)には出題されていたかな?
本稿をアップしたあとにでも引っぱり出して調べてみるか…。
(↑されてました。試験T問題6)
さて、この帰納法と演繹法についてですが、
ふだん聴き慣れない人らからすると「( ゚Д゚)ハァ?」ってなると思います。
一度勉強したはずの私ですら怪しいのですから…。
ですので、本稿ではこの二つのことについて、
「小学5年生でもわかる」ことを目標に、
私なりにカンタンな文章で解説したいと思います。
@:帰納法(きのうほう)
さまざまな事実や事例をもとに、
傾向や原則をみちびいて結論づけること←( ゚Д゚)ハァ?
【つまりこういうこと!】
ビールやワインは液体、ビールやワインを飲むと酔う
= 水(液体)を飲むと酔う(まちがい)
…というふうに考えること。
Aさんは、毎度学年トップの成績を取る。
= Aさんは東大に合格できる(…とは限らない)
…というふうに考えること。
A:演繹法(えんえきほう)
すでに知られている一般論をもとに、
仮説を結論づけること←( ゚Д゚)ハァ?
【つまりこういうこと】
人はいつか死ぬ生きもの、自分は人
= 自分はいつか死ぬ(暗っ)
…というふうに考えること。
日本とベトナムの時差は2時間、日本が9時のときベトナムは7時
= 日本が20時のときベトナムは18時
…というふうに考えること。
いかがでしたでしょうか?
@では「目に見えていること」が考えのもとで、
Aでは「絶対に『そう』であること」が考えのもとです。
私たちは人間関係において、どちらをよく使っているでしょうか?
決めつけたら、アカン。
さて、先述した@帰納法とA演繹法ですが、
「まちがう」ことがあるのはどちらだと思いますか?
すでにおわかりの通り、@です。
ビール飲んで酔うからといって、
液体すべてが「飲むと酔うもの」とは限らないでしょ?
このことを私たちの身の周りのことに置き換えると、
いかに@帰納法だけで物事を見て考えているかが、わかると思います。
私も良い例です。
過去の記事でも紹介しましたが、
勝手に「独りでも生きていける人」と誤解されました。
私が「独りでも生きていける人だ」という
ゆるぎない事実は、どこにもないのです。
ここが誤解の怖いところ。
結果、身の回りの人たちは
「西野は独りで生きていけるらしいよ。」
「だから友達なんて要らないんでしょ。」
そうやって私と距離を取りがちになる恐れがあります。
私が「独りで生きていけない」し、
「友達を欲しがっている」と本当は思っていようが、です。
@帰納法は、まちがいます。
「目に見えていること」が事実だとしても、
別の可能性をしめす何かが、あるかもしれないからです。
@帰納法は特に「人間関係」を築くうえでは、
使うときには注意が必要です。
一歩間違うと「決めつけ」になりかねないからです。
付け加えますと、
@帰納法ばかり使って人間関係が上手くいかない人は、
「想像力がない」ことが原因です。
過去の記事の文面を引用しますが、
「決めつけ」=「誤解」が拡散されることで、
その人が本来持てるはずだった人望・友達・未来が、
もれなく殺がれてしまいます。
帰納法による「決めつけ」は「まちがい」の場合があります。
これはアカン!
どうやって他人を見極める?
30代オッサンで社会不適合者の私ですが、
他人を初見で「決めつけ」られるほど図太くはありません。
たしかに他人を見極めることはカンタンではありませんが、
それでも最初からあきらめてはいけません。
(近年は最初からあきらめてるオッサン・オバサン多いような…。)
ささやかな自慢ですが、私には長年仲の良い親友がいますし、
今でさえ新しく気が合う友人ができることだってあります。
それはあきらめずに、他人に対して目を合わせて
「確かめ合う」ことを止めなかったからだと自負しています。
「確かめ」合わないと特定個人のことなんか、
一生わかりゃしないんです!
まちがっても、すべてを悟ったふうに訳知り顔で語るな!
「驕(おご)り」もいいところ!
ここでA演繹法を使いましょう。
一般論「人は変わる生きもの」ということを。
常に頭に入れてコミュニケーションしないといけないんです。
「こいつ、何か腹立つな!」←@「態度が悪いという事実」
「待てよ。気が合うかもしれん。」←A「人は変わる生きもの」+保留(エポケー)
やられたらやり返す?
同じ土俵に上がってケンカするだけなら、
ヘイトが増え続けるだけです。絶対ダメ!
ヘイトを増やし続けるオッサン・オバサンが多いから、
今の時代は窮屈なんじゃないでしょうか?
こういうことを試験で問われたわけではありませんが、
「人にものを教える」ことを生業にしようとする人(教師)に、
他人を「決めつけ」るマインドがあると、大問題でしょう。
たしかに、とても大事なことだと思います。
@帰納法とA演繹法
@とA両方とも、
上手に使っていきたいところですね。
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