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人の夢と書いて『儚い』ですが、それが何なんですか?

 

人の夢と書いて『儚い』ですが、それが何なんですか?

 

『人』と『夢』をくっつけると『儚(はかな)い』という文字になります。

 

 

ラジコンで操縦されたかのように語りたがる大人たちは、
こんな殺し文句と悪趣味で若い芽を摘みたがります

 

 

『儚い』ことがまるで『悪』でもあるかのようです。


夢なんて見ずとも、全てが儚い。

 

『儚(はかな)い』という言葉を調べましょう。

 

他に頼みにできる確かなところがない。
淡くて消えやすい。無常。

 

へぇ。そうなんだ。
じゃあ会社員の立場でも一緒ですね。

 

 

何故かというと、頼みにできるのは自分だけです。
『そのくらい自分で考えろ。常識で考えたら解るだろう。』
とでも言う上司が一人でも二人でもいればなおそうでしょう。

 

 

そして市場が動けば需要も変わります。
会社自体も無常ということです。
そのうえ、『無情(情けなし)』です。

 

 

じゃあ冒頭どおり、
『中2病』とでも揶揄したいのか、夢を見るいきいきと
した芽を摘みたがる悪趣味な人間が、『儚い』という言葉を
持ち出しては人が夢を見ることに消極的なのはなぜでしょう?

 

 

そうですね。
その人たちは『儚い』という言葉の意味を理解していないからです。

 

 

夢なんて見ようが見まいが、
結局は人生そのものが『儚い』んですよ。

 

 

だったらいっそのこと夢を見続けて
夢に生き、夢に活き、夢に死ぬ人生の方が
よっぽどその人にとっては幸せだと私は思います。

 

 

人の夢は儚い。
…だから何なんですか?

お腹いっぱいになれば要らない。

 

人の夢は叶います。

 

 

それは会社という退路を断ってまで
海外就職という夢を叶えることができた私の実体験です。

 

 

会社に媚びる必要もなかったし、
頼るあてもありませんでした。自分自身の足です。
それだけは誇りをもってそう断言できます。

 

 

…が、夢なんて叶えてしまっても
人の役に立てないと解ればただの肩書で、
『こんなもんか』と肩透かしをくらうんです。

 

 

そのうちその環境に大儀を見出せなくなって、
お腹いっぱいになるんですよ。

 

 

ごはんをお腹いっぱい食べると、
あとはどうしますか?

 

 

そう、これ以上は身体に毒なので、
残すか分けるかすると思います。

 

 

人の夢もこれに同じです。お腹いっぱいになれば要らなくなるし、
もうちょっとがんばれそうと思えば、残して日を改めます。

 

 

『もう要らない』と思えば離れて、
また新しい生き方を歩んでも良いんです。

 

 

人は『またか』というくらいに、
何度だって人生をやり直すことができます。

 

 

それは『儚い』と制限された面白くも何ともない人生ではなく、
その瞬間に『ありったけ』をこめることができる
たった一度の愛おしい自分自身の人生においてです。


幸福追求の権利

 

『地に足をつける』という物言いがよくされますが、
アレって何なんでしょうか?

 

 

自由を愛して止まない私からすれば、
『足を地面にへばりつけてでも拘束させたい。』
とでも言わんばかりに聞こえます。

 

 

一生その場に拘束されるくらいなら、
足を地面に忘れてでも飛び去ってしまいたいものです。

 

 

先述どおり、人の人生そのものが儚いんです。
浮遊物のように漂い生きる方が、
何者に縛られず自由な生き方ができるというものです。

 

 

浮遊物でも良いんです。
確かに存在しているのですから。

 

 

製造工場のラインでは、『異物』は除去されます。
商品の品質に大きく影響を及ぼすからです。

 

 

人がいる環境で『浮遊物』がない状況なんて、
ありえないわけで、『異物』であれば排除されます。

 

 

製造者の判断に正解・不正解があるように、
無視できる異物もあれば排除すべき異物があります。

 

 

『異物』かどうかなんて、他人が他人の都合で
勝手に決めているだけなんです。

 

 

私はたまたま人という形の浮遊物ですが、
『地に足をつける』というルールにも従いませんし、
従わない『拒否権』をもつ立派な人間です。

 

 

さらには憲法13条にも書き綴られています。

 

『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利』

 

この決められたルールのもと、
私たちは自由な浮遊物であるはずです。

 

 

何人も自由と愛を拘束することはできません。
幸福追求を罰する人がいれば、憲法そのものに
反旗をひるがえしているようなものです。

 

 

私たちは人間です。
幸福追求権という国の権利のもとに。

 

 

 

追記

あなたの答えは既に出ている。

 

 

 

人には夢をあきらめるか、あきらめないかを
選択する権利があります。

 

 

それは先述通り幸福追求権が適用されるからです。

 

 

あきらめることが悪とは言えませんが、
もったいないとは思います。

 

 

そもそも、あきらめる・あきらめないを
考え、迷っている時点であきらめたくないと
公言しているようなものです。

 

 

何故なら、夢でなくなった物事はある日突然
その人の意識から離れ、忘れていくものだからです。

 

 

ここまでこの文章にお付き合い下さったあなたなら、
もう答えがハッキリしているかと思います。

 

 

夢をあきらめる?あきらめない?
この時点でもう、答えが出ているんです。

 

 

 

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