他人に振り回されない、心をきたえる場所。
『気』は、バカにできない。
もともと、神秘的なものを信じることは無かったのですが、
『自分のため』と思えば、
ある意味信用に足ることかな、と今は思います。
『気』とか『オーラ』というエネルギーの例え方はよく耳にしますが、
『人の心』と解釈すれば、確かに人の人生や運気に影響はしそうです。
それは人間が、心の生き物だからです。
知識に富んでいる人
お金に詳しい人
世の中をよく知っている人
時代を先読みできる人
これら全ての人が幸せになる保証がなく、
一部では莫大な借金をしたり、捕まったりするのは、
やはり『人の心』が関わっているからとしか思えません。
論理性や合理性は確かに大切ですが、
素直に『良い心で、今日を迎えたい。』
そう心にきざみながら、大切な人と生きる『気』は、
抽象的ではあるものの、周りには伝わると思います。
理由もなく、
・アイツが気にくわない。
・この人に、ビビッと来た。
・あの人、何となく暗いから、無視。
そんな気持ちが芽生えるのは、
理屈ではないと思います。
『気』って、バカにできませんね(^-^;
お参りに行く=他人に振り回されない心を、きたえる。
私は単純に、
厄払いやお参りなどで神社を訪ねることは、
『他人に振り回されない心をきたえること。』
そう考えています。
なぜか?
まず、行事ごとになれば、
神社にはほぼ間違いなく多くの人が集まるでしょう。
そこにいる全ての人たちが、それぞれちがって持っているもの。
それは…
『呼吸』です。
ちがった『呼吸』が集まる場所。
それはつまり、他人の生き方が混ざり合って、
ちがった『呼吸』を持ち帰ってしまう可能性があるのです。
今回の『厄払い』も同じ。
『厄』と向き合って、自分の人生をどう変えたいのか。
厄払いに集まった人たちはそのことだけに集中して、
それぞれちがった『呼吸』を残していくのです。
この環境に真剣に向き合い、『自分の呼吸』を再認識し、
他人の呼吸に振り回されないようにトレーニングする場所なのです。
だから、真面目な人は神社を訪ねるのです。
(注:私個人の、思い込みですよ(^-^;)
さて、庭の椿もキレイに咲き天気も良く、
絶好の厄払い日和となりました。
なぜ、厄払いしたり、心をきたえるのか?
厄払いに同行して、ふと考えました。
『なぜ、こんなことを人は定期的にするのだろう?』
定期的に行う理由の一つは、
行事ごとであるから。
確かに、ド平日や日常に戻ってからでは、
ゆっくり考えて行動する時間や余裕はありませんね。
『行事ごと』にあやかるから、真剣に考えることができるのです。
そして、
悩みがない人間なんて誰もいませんね。
だから悩みを共有しに、神社という一つの場所に行き、
『所属欲』を満たすのです。
『厄払い』に限りませんね。
私は、国内に限らず海外にも活動範囲を広げたいので、
普通に考えれば、危険が及ぶ可能性が高まります。
日本ほど、治安の良い国はありませんからね。
(一部では悪いかも知れませんが。)
それに時事にあやかるつもりはありませんが、
世の中はますます、どう転んでしまうのか分かりません。
私は私の仕事をするだけなので、
どうしても手が回らない分野・出来事などはありますが、
この国がどう傾こうと、
どこかで箸か棒に引っかかる能力は身に付けたい。
これは、
海外就職に向け単身渡航したり、
ネットビジネスで活動したりと、
我ながらその行動に表れています。
いずれにしても、
厄払いに限らず、『自分らしさ』をしっかり持って、
どう転んでも芯の部分は強く居れるように、
心をきたえる。
↑↑↑
そのためには、他人が多く集まる神社は、
最適のトレーニング環境だと思います。
間違った心で行った行動は、アッサリと自分を裏切る。
『厄払い』に神社を訪ねると、
100人単位で祈祷をしてくれます。
待ち時間は100人当たりで、25分ずつでした。
この中に、
一体何人の人が真剣に厄払いに集まったのかは分かりませんが、
『ただ何となく来てみた。』
そう思い、ただのヒマつぶしか『所属欲』だけで
その場に居合わせた人もいたかもしれません。
残念ながら、
何となくで行った『厄払い』には、
効果があるとは思えません。
『厄払い』という目的はあるのでしょうが、
『厄払い』自体が目的化してしまっているようでは、
払う厄すらも、明らかにならないのです。
考えなく行った努力が、平気で裏切ることと同じように、
ただその場に居合わせて目的化した『厄払い』なら、
その人は心に潜んでいる『厄』に、いつかやられてしまうでしょう。
間違った行動は、いつか自分を裏切るのです。
だから、『最悪の事態を考えるクセ』は、
どこかでつけておいた方が良いですね。特に厄払いの時は…。
(もちろん、考えすぎは良くありませんよ。)
追記
厄払いの前、
母が行きつけの喫茶店に連れて行ってくれました。
自分が書いた水墨画を見て欲しいと言うのです。
今時の喫茶店にしてはめずらしく分煙がされていません。
入店したとたん、タバコとコーヒーの混ざった匂いがします。
何だか大学生のころのバイト先を思い出し、懐かしい気持ちになりました。
母の作品が、何種類か展示されていました(*^-^*)
母は趣味が多いぶん、
どうしも家事に充てる時間が弊害になるようなので、
毎日遅くまで起きては朝から夕方までバタバタとしています。
『最悪の事態を考える』クセが行動にも、発言にも出る母なので、
厄払いはとても効果的だったと思います。
そして、母の厄が払われることは、
私たち家族や母の友人たちの厄も払われるということです。
そうか、そう考えると、
『厄払い』とは、繋がっている全ての人たちの厄を除くことでもあるんだな。
そんな気持ちになりました。
自分や周囲の厄も除き、心もきたえる。
他人に振り回されて新たな『厄』を持ち帰らず、
自由で、幸せになれる『呼吸』を、会得したいものです。
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