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相変わらず高学歴が正義のようです。

 

投稿現在は3月中旬。
世間では受験結果が公開され、
若い人たちが一喜一憂する時期です。

 

 

そして、相変わらず高学歴が正義のような
風潮は、根深く残っているようです。


まるで変わっていない…。

 

親族にひとり受験を終えた子がいて、
晴れて合格ということで私の周りの家族は
ああだこうだと食事の約束に忙しなくしています。

 

 

不思議なのは、別段自分のことでもないのに
いちいち思い入れを持っているかのような家族の姿勢。

 

 

…そんなに体裁大事ですか?

 

 

たぶんこれは受験シーズンにがんばる理由が
何一つ思い浮かばなかった私には一切理解できないからでしょう。

 

 

そして怖くなりました。

 

 

私があの頃から抱いていた鬱屈を変えるような社会には、
何一つ変わっていることがないのだと。

 

 

結局、同じなんですよ。

 

 

合格=何となく正義

 

不合格=何となく残念でイタイ

 

 

まだ善悪の判断や人の気持ちを配慮できない年頃の人間が
周りに多い時期なので仕方ないとは言えますが。

 

 

もしもその子が試験に不合格していたら、
あくせく立てていた食事の予定はどうなるのでしょうか?

 

 

勝ち負けがハッキリする物事であることは確かです。
教育はその勝ち負けを物差しにして、
相変わらず人の要・不要を決めています。

 

 

何一つ変わっていません。

 

 

素直な気持ちで彼の合格を祝う気持ちはあるのですが、
逆にその分、教育や家族に対して見る目は落胆する一方です。

 

 

まるで変わっていない…。

 

 

ストレートに白状しますと高学歴への嫉妬ですが、
私のそれは嫉妬だけで片づけられるほど軽いものでは
ないということです。

 

 

世間で知られる『受験うつ』がなかなか無くならない理由も、
こういったところに表れています。親の理解と配慮次第ですね。

何故くり返される?

 

学生に限らず、私たちは大きくなれば
何でもかんでも試験だテストだと数字化することが大好きです。

 

 

わざわざ合格・不合格だと
人の優劣決めるままごとは、もうお腹いっぱいです。

 

 

ペチャクチャと意思表明します。
『○○試験で、絶対合格します!』
『○○テストで○○点獲ります!』

 

 

ご立派な肩書は結構なんですが、
それは人の役に立ちますか?
それとも自分のためだけですか?

 

 

親同士の社会常識や競争基準の考えの遅れ方にも
付き合うだけで苦痛です。

 

 

『○○の誰々は○○高校にトップで合格したそうだ。』

 

『○○さんちの○○は、来年あの○○大学に入学するそうだ。』

 

『○○さんの友達は大手○○会社に入社したそうだ。』

 

 

○○さんて誰だよ?『〜そうだ。』、『〜そうだ。』って、
同じことだけラジコンで操縦されたみたいにしゃべってます。
…あなたの意志はほったらかしですか?

 

 

同じことだけが繰り返される教育。

 

 

今の教育者も、その教育を受けて育った親も、
当事の教育と世間体が『正義』だと信じ込んだまま
時間が止まっているので、変われないんでしょう。

 

 

乱文失礼致しました。

高学歴は正義?それはなぜ?

 

誤解を解く意味で書きます。

 

 

たしかに私は高学歴の人間を妬みはしますが憎みはしません。
(揶揄(やゆ)の対象としては面白おかしく書かせていただいていますが。)

 

 

歩んできた人生のうち親も教育者も社会も世間も、
高学歴を『正義』のように扱う理由が全て同じなので、
何一つ面白くないだけなのです。

 

 

高学歴は正義だ。それはなぜ?

良い大学、有名な会社に行き、
将来を安泰に生きていけるため。

 

 

…えっ?そうなの?

 

 

誰も

 

 

A:どんな状況でも箸か棒にひっかかる能力を
得るため。自分で稼いで生きていく力を身につけるため。

 

 

そう答えることは少ないみたいです。

 

 

なので、全員そうとはもちろん言いませんが、
『安泰』を手にした瞬間、思考停止した高学歴者が
権利のイスで甘いミツを味わっているから始末が悪いんです。

 

 

明日はゴルフコンペだから一室で素振り…。
これをノウノウと『ビジネスの寝技』と言えます。
満面の笑みで。幸せなんです。

 

 

逆に低学歴者が正義とは言えませんが。
『低学歴のあなたが高学歴を妬むだけの理由で、
ここまでなぶるように書くことでスタンスを保てるんでしょ?』
こう誤解されても困ります。

 

 

なので勝ち負けは勝手にハッキリさせれば良いんですけど、
『正義』とか『残念』みたいなことは、私は死ぬまで決めつけ
たくありませんし、いい加減終わって欲しいとも強く願います。

 

 

これも『常識』が生んだ呪縛・負の遺産。

 

 

中途半端な正義が一番の悪や。

‐松本人志‐

 

 

 

追記

曲がり角。

 

 

 

私自身、『受験』というものにはトラウマを
持っていまして、あまり語りたくない思い出が
書ききれないほどあり書きたくありません。

 

 

今でこそこうやって言葉で表現ができます。

 

 

受験生のころから赤の他人や顔を知りもしない大人が、
赤マルの数だけで『お前は来て良い』・『お前は要らない』と
人を淘汰すること自体がくだらないと思っていたのです。

 

 

もちろん受験に限りませんよ。

 

 

大学に行けば就職コネの強い教授の下で研究をしていた学生が、
何となく偉そうで横柄になっていきましたし、

 

 

会社では本店に配属になった同期が日に日に上から目線に
なっていく様を見た事もあります。

 

 

お山のてっぺんにたどり着けば、
あっさり人は思考が止まるんです。

 

 

人格形成の曲がり角とはそういうところにあります。

 

 

・目標を達成できた。

 

・志望校に合格できた。

 

・恋人と結婚できた。

 

・昇進して職位が上がった。

 

 

私自身ゴールや目標を持つことはキライですし、
『ただ、継続する』ことの方が価値があるし、
その人は強くなると思います。

 

 

最も強い人は『すごくないけどひたすらやる』人で、
最も弱い人は『すごいと勘違いして何も続かない』人です。

 

 

 

 

 

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