家族と同じ空気を吸うのが苦痛な人へ。
毎日が再認識。『やっぱりキライ。』
家族と仲が悪い例で多いのは、やっぱり親子ですね。
『私はお前の親だから心配して言ってるんだ!』
これって当たり前すぎることなので、
論争の価値すらない親の物言いです。
恥ずかしながら私も、自由主義者ゆえ、
両親と何度か衝突する時期がありました。
しかも親はサラリーマン。私とは生き方の価値観が合わなくて当然です。
当事は家族と同じ空気を吸う事ですら苦痛であり、
住まいまで提供されて『良い成績で良い学校へ行け。』
とでも言われた日には、本当に逃げ場のない気持ちでした。
それでも心配をかけまいと、一応はがんばりましたけどね(^-^;
苦痛以外の何物でもありませんでしたが。
『親の言いなりに生きて幸せになれた』と言う人間は
ろくな連中じゃない。
↑↑↑
こう唱えた某実業家がいましたが、
誤解を恐れず書けば、私もこの人の意見には賛成です。
耐えきれず家を飛び出した過去もありますので…。
ひょっとすると、若者がローンを背負ってでも次々と
新しい家に住んでは会社に人生を捧げることって、
ある意味親からの束縛を逃れる一つの手段かも知れません。
『生まれ育った家を守る』なんて考えはもう古いのかもしれませんし、
100%仲の悪い家族の面倒なんて、この先…
絶対
見たくありませんからね。
私は自分の家は新しく持ちませんし今も両親と暮らしていますが、
家族と仲が悪い人の気持ちは理解できると思っています。
毎日が再認識の繰返しなんですよね。
『ああ、やっぱりこの人嫌いだわ。』
『無関心』になるとヤバい。
『可愛さ余って憎さも100倍』と言う言葉があります。
この状況はまだ幸せだと言えます。
好きも嫌いも、少なくとも相手に関心が無ければ
発生しない感情ですからね。
一番怖いのは『無関心』です。
この最も怖い心理状態で起こることは何か?
そのまんま、エスケープ(逃亡)です。
そのためにはローンを組んででも新しい家を買う。
自分を追い込む。そのプレッシャーを背負い、
自分や自分の家族を守るために、今日もがんばって会社に勤める。
人の生き方は表現自由のもとそれぞれちがうので、
そんな生き方も有りかもしれません。
少なくとも仲の悪い家族と同じ屋根の下で暮らさなくて
良いだけで、その人にとっては自由で幸せなのかもしれません。
同じ屋根の下に存在しないので、関心も生まれませんしね。
嫌いな家族の気配を感じる事ができないだけで、極上の幸せを感じるでしょう。
これが物理的・精神的な『無関心』の最終形態だと言えます。
メールや電話が来ようが、
連絡先から削除してしまえば、それで解決しますから。
家族と100%仲が悪い人たちって、ここまで考え付いてしまうわけですよ。
無益な争いが起こる前に『耐え忍ぶ自分』を演じる人もいますが、
その人が一番褒め称えられるべきでしょう。
争いの種を生まないために独り犠牲になっているわけですから。
(ただ、ガマンのしすぎは良くありません。)
家庭を持つことと家族になって暮らすことって、
そこまでの覚悟や考える配慮も要るんですね。
…って、ちょっとドロドロしすぎました(^-^;
一旦ここまでにします。
本当の解決方法とは何か?
生きていれば、頼んでもいないのに必ず苦手な人が
自分の人生の中に現れます。
それは他人に限らず、家族も例外ではありません。
元宝塚女優の黒木瞳さんは、
その人が自分を好きか嫌いかはどうでもいい。むしろその人といる自分が好きかどうかが大切。
こうおっしゃられています。
とても的を得られたご意見だと思います。
哲学者デカルトの『我思う、ゆえに我あり。』は、
何者も干渉できない『自意識』の存在を唱えています。
だから、嫌いな人間と話している時の自分が
好きでも良いし、嫌いならその通り嫌いだったと。
本当の解決方法は『自意識』にあるのかもしれませんね。
嫌いな対象の人物に変わるよう訴えかけても
あまり意味はないのかもしれません。
それこそ本人さんのエゴや依存心の表れです。
期待しない。
『その代わりこっちも勝手にやりますよ。』
それで良いと思います。
自由をバカみたいに追い回した結論
私の場合、今も苦手な人間が家族の中にもいて
時々先述した『再認識』を起こす日があります。
(おさらい:再認識=『ああ、やっぱりこの人嫌いだわ。』)
それでも争いの引き金にならないように一歩引いて
『がんばる自分』を演じている日もありますが、
いいかげん耐えきれなくなる日が来ると、いよいよ逃亡します。
ネットビジネスに生きていれば職場は選ばなくても良いので、
今もこの文章を打ち込んでいるパソコンとポケットWiFiさえ
あれば休まず仕事をできますし、わざわざストレスがたまる
家に帰る必要もありません。
ネットカフェで気になるマンガを全巻読んで一夜を過ごしたり、
極端な話、国外をしばらく旅行し、バックパッカーとして
パソコンとポケットWiFi一つでフラフラと生きても良いわけです。
↑↑↑
因みにこの記事の投稿現在時より、
その予定が再来月に確定しました。
ある程度頭が冷えてくると帰宅し、
何事もなかったようにまた暮らす。それで良い。
会社という職場環境や、家という財産を持ってしまった人にとって、
仮にもし同じ屋根の下で暮らす家族とカンペキに仲が悪いと、
自由がきかず、いろいろ考えたり耐えたりしなければいけません。
私は会社・留学・海外就職・転職…
いろいろ手を出して自由を徹底的に追及した結果、
生き方の表現方法がネットビジネスになりました。
それは自分が思いもしなかったシチュエーションでも
自由を提供し、精神面での健康を救ってくれます。
追記
自分で自分の人生を選びやすくなった時代
情報化が人の価値観に刺激を多く与えたことは間違いないようです。
最近の若いタレントさんやアスリートの人たちでも、
ほんの一昔前では考えられなかったくらいコメントが大人びてますし、
既にその人の人格が完成された感があります。
それはインタビューの様子などを観ていれば、
すぐにピンとくるかもしれません。
それだけ情報多過になったこの社会が一般人に
与えた恩恵は大きく、自分で自分の生き方を選択し、
行動や発言をしやすくなった時代だと言えます。
それゆえ、家族との間ですら生き方の価値観対立が
起こりやすくなってしまったのでしょう。
かく言う私もハッキリ思っていました。
『この時代を有効利用しない手はない。』と。
相変わらず『私はお前の親だから、言っておくぞ!』
という『親ハラ』的な発言にあまり好感を持てないのは、
私が親になったことがないからかもしれません。
親も子離れをすべきだと思いますけどね(^-^;
時代錯誤しない程度に。
それでも『育った家を守りたい』という
時代錯誤かも知れない意識が、私にはまだあります。
やっぱり大切なたった一つの家族なので、
自由という立場を有効活用しお互い幸せに生きていたいですから。
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