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不幸な人とは、自ら勝手に不幸な人生を歩んでいく。

 

人生を、幸不幸の基準にする人はいると思います。

 

 

『自分は幸せだ!』とアピールする人もいれば、
『不幸は恥!』と勘違いする人もいます。

 

 

なかでも最もタチが悪いのは、
『不幸』を自分以外のせいにして、
口にすることすらもできず周りに依存ばかりする人です。


心の闇に、どっぷり浸かってしまった人の話。

 

今から綴るお話は私の身近にあった話です。
ただし、本人さんの気持ちに配慮し内容を少しデフォルメしています。

 

 

ですので実話とは少々ズレる点があるのですが、
『本当にありえるかもしれない話』として、
ご参考程度に読み進めていただければと思います。

 

 

昔ある家庭で、多感な時期の受験生さんがいました。

 

 

成績はまあまあ。高校受験を控えた中学3年の春には、
全校生徒中の『中の上』あたりの成績でした。

 

 

『この調子でがんばれば県内で1,2の公立校を受験できる』と、
担任の先生も太鼓判です。

 

 

しかし意外や意外。彼の成績は夏以降右肩下がり。
期待されていたような成績を残すことはなく、
本人も悩んでいました。

 

 

ある日の夜、彼の父親がこっそり部屋を訪ね、
二人きりで話をします。

 

 

数時間後…。

 

 

先に父親が部屋から出てきて、
あとに出てきた本人が、何と。

 

 

大号泣です。

 

 

一体全体何が起きたんだという話です。
彼の母親が事情をたずねるも本人はかたくなに口を閉ざし、
父親から何を聞かされたのかを語ろうとしません。

 

 

この事件が、その後の彼の心にどっぷりと闇の部分を残し、
40年以上経った今もこの日の真実は明らかにされていないのです。

心の闇を抱えたまま、生きた40年間。

 

大号泣事件以降。
何事もなく、翌日もその次の日も、
日常は過ぎていきました。

 

 

高校入試の結果。見事彼は県内2位の公立高校に合格しました。
何事もなく淡々と日々を過ごし、大学、就職…と彼の人生は進みました。

 

 

結婚もせず今も時間が来れば食卓に足を運び、
母親の作った食事を無言ですませ、
無言でまた自分の部屋に戻っていきます。

 

 

そして何れの時期にも、
彼は『あの日』の出来事をかたくなに語ろうとしません。
『あの日』とは、そう『高校入試前に大泣きして部屋を出てきたこと』他なりません。

 

 

心の闇を匂わせる一方で淡々と無感情に人生を過ごす彼の生きざまは、
私から見れば『悪趣味なマスターベーション』
そんな例えになります。

 

 

心の闇を抱えたままつらかったことを家族にすらシェアできない心理。
この心理について、もう少し考えます。

心の闇を解放できずに生きる今。

 

私自身、幼い時期に父親からストレスをぶつけられた経験があるので、
上の話について非常に興味深く思います。

 

 

彼の場合は40年以上前に、
父親から『何か』を言われたことが原因で変わってしまいました。

 

 

私はある時期に全てを吐き出すきっかけがあったので、
父親にも、周りの家族にも理解してもらうことができました。
『あの日のことが、今も辛いのだ』と。

 

 

一方で40年以上経った今も心の闇を抱え、
共有できるパートナーもいなくたった独りで生きていくことは、
ある意味強固な意志があるとしか思えません。

 

 

誰にも、彼の胸の内は知られないのです。

 

 

まるでその心の内を暴くことがパンドラの箱を開けることかの様に、
自分で自分を押さえつけ、それが原因でいつまで経っても光が灯らないのです。

 

 

さらに今は食卓と自分の部屋だけを行き来する、サラリーマン。

 

 

他人にも家族にも依存して生きる、
不自由なサラリーマン兼、無感情男。

 

 

言い過ぎかもしれませんが、
この形容がもっともあてはまる人物なのです。

これから先も、心に闇を抱いて生きるのか?

 

『自分ばかりが不幸だ!』
そう思って人生に生きがいを持てず、
子供の様にひねくれている大人がいます。

 

 

再び言い方は悪い様ですが、
正直そういう人たちは人生への覚悟が甘いです。

 

 

こう言えるのは、
私自身も同じような経験があり、そう気づけたからです。

 

 

『自分ばかりが不幸だ!』
『自分ばかりがつらい!』

 

 

こうやって人生そのものが憎いのは、
その時々で自分が選択した道に責任を持てないからです。

 

 

そして、他者に向けて『あの時、実はつらかったんだ。』
そう心の闇を解放することで周りの理解を得る努力も必要です。

 

 

ハッキリ言えますが、自分の心の闇を周りへ解放して、
理解を得てもらうことは非常につらい試みです。

 

 

理解力やデリカシーに乏しい人間もいるので、
その闇に触れれば、本人をみじめだと思われたり、
もっとタチが悪ければ、本人のいないところで話のネタにすらされてしまいます。

 

 

それだけ他人のことが信用できない気持ちも理解できます。
それが今回お話した『彼』の生きざまにも十分表れていると思いますから。

 

 

ただ、『彼』はこの先も、『あの日の心の闇』を抱いて
一生生きていくつもりなのでしょうか?

 

 

当然、周りにいる人間はエスパーでもあるまいし、
彼が本当に望んでいるものなど用意できません。

 

 

最悪の場合、彼自身は、
『心の闇』に甘んじた依存心に身を任せた生き方から、
抜け出せなくなっている可能性があります。

 

 

そんな生き方の先にあるものは…。
あまり考えたくありませんね。

 

 

 

追記

 

 

本記事の内容はほんの一例でしたが、
世の中には『不幸に甘んじる』生き方が、
私たちが想像するよりもはるかに多くあると考えます。

 

 

何故かと言うと、
その生き方がラクだからです。

 

 

『幸せに生きる』とは他人が決めつけることのできない、
極めて自由度が高く終わり無い夢です。

 

 

『幸せ』って、案外ラクをするイメージがありますが、
そうではないんですよね。自分で掴みに行くものだから時々しんどい。

 

 

ただ、『不幸』に甘んじて生きていくことは、
本人はもちろん、心配してくれている周りの人間にまで
『依存』や『不自由』を生みます。

 

 

私自身、そんな生き方は絶対にイヤだったので、
つらかったことや、不幸なことは周りの人間に
理解してもらって、一緒に乗り越えてもらいました。

 

 

『彼』にはそんな生き方を強要することはできませんが、
正直今後の『彼』の未来はイメージしたくありませんし、
巻き込まれたくもないなって考えてしまいます。

 

 

少しげんなりするようなお話でしたが、
逆に考えると不幸を克服する方法はいつでも身近にあって、
それは自分の行動次第でいつでも実行できると思います。

 

 

自分を不幸にしてしまうのは、
いつだって自分自身です。

 

 

もちろん、その逆もしかりです(^^)

 

 

 

 

 

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