自由とは、いったい何だろう?
『自由』についてのお話です。
私が『自由』について真剣に考え始めたのは、
国内では2社目となる職場で体調を崩したときでした。
私はフィリピン勤務経験を生かし、
海外展開に関わる仕事を希望していましたが、
会社は私ひとりに国内出張と海外出張の両立を求めました。
これが私に求める即戦力だったのです。
結局のところオーバーワークで体調をくずし、
仕事を海外一つにしぼることも許されませんでした。
同じように再び体を壊してしまう前に会社を辞めることになりました。
体を壊して考えました。
自由とは何だろう・・・
会ったことのない人と会い
見たことのない場所に行き
自分を抑えつけるものもなく
ただ、笑顔が耐えない楽園でしょうか?
自由を手にしても、人間関係はからんでくる。
自分の考える『自由』を手にしたとき
私は本当に満足して、人生を生きていけるのでしょうか?
普通に考えれば、自分の欲しがっていたものが今手元にあれば、
何が何でも手放したくない!と考えるのが人間ではないでしょうか?
自由・・・
手にすれば、そこには失うことへの大きな不安と恐怖が待っています。
私は自由について誰よりも強く望みますが、
その分失ってしまうことへの不安と恐怖も同じくらい強く抱いています。
だから考えてしまうんです、もし自分が自由を手にしたとき
・本当に理解してくれる人は誰か?
・手にした分、一体誰に恩返しをしなければならないのか?
・逆にどこかで、距離を置かなければいけなくなるのか?
・自分自身、心のどこかで『おごり』があるのではないか?
↑↑↑
やはり、人間関係がからんできますね。
私の古い友人には10年通して正社員・派遣・パート全てを経験し、
今は独立してピアノの先生になった人がいます。
つらく長い人間関係が続いたなかで、ようやく手に入れた幸せだったのでしょう。
その友人はこう言いました。
『仕事の内容はたいていどうにでもなる。一番やっかいなのは人間関係だった』
…やはり何事も人間関係なんですね。
自由を手にしたあとでさえ考えます。
どれだけ好きな仕事でも、人間関係が原因で、キライになることだってあります。
世の中に『何でこんな人が?』 と言われながらも権力をもつ人がいる現実は、
根性論だけでは、説明できないと思いませんか?
そう、つまり
現実が真実なのです。
現実が真実。それでも自由を信じて戦う。
私の大好きなマンガ家さんが、このあいだテレビでこうおっしゃっていました。
↓↓↓
『抵抗ですね。抵抗を描いているんです。
信じてるんですよ。 人間そんなバカじゃねえし。』
私はこの言葉にいつも勇気をいただいています。
真実という現実のなかで、自由を信じて抵抗する。
自由とは、自分を信じて戦うことなんだと、今書いていてそう感じました。
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