自由で、カッコ良い大人とは何だろう?

 

すべての大人たちに問います。
『一体、あなたに何の権利があるのか?』

 

 

私が所属した中学校の野球部の監督は、
絵に描いたような体育会系でした。

 

 

指示に従えない者には体罰。

 

気に障る態度にも体罰。

 

失敗をした者にも体罰。

 

 

そして、
とにかく野球が上手な生徒だけには、気前が良かったものです。


公衆の面前で…。

 

当事外野を守っていた私は、
練習試合で飛んできたボールをエラーしてしまいます。

 

 

外野に飛んできたボールを抜かすとどうなるか…
だいたい想像がつくと思います。

 

 

当事からくそ真面目だった私は、
自分で自分のミスを責めました。
ところが、そのガッカリした表情が気にくわなかったのか、
監督は思い切り私の頭を叩きました。

 

↑↑↑
もう、時代ですね(^-^;

 

 

練習試合で、相手チームがこれを見るし、
親御さんたちも観に来ていたので、
本当に恥ずかしかったし、傷付いたことを覚えています。

 

 

その半年後。

 

 

私は外野手のレギュラーで5番を打つようになりました。
それはチームに欠けているものを必死に埋めようと努力したからです。

 

 

チームメイトからも認めて貰えて、自信を積み上げた一方で、
監督は私に対する態度をコロリと変えるのです。
私にとっては都合の良い話かもしれませんが、
ハッキリ言って不信を抱きました。

 

 

『結局、納得させる言葉一つ浮かばない、
体罰でものを言わす軍隊と同じじゃないか!』

 

 

若い私は、そんな気持ちだったのです。

他人に手を出せる心理

 

私は中学時代、
やたら聞き分けの良い優等生も、
理屈抜きに暴力を好む不良も、両方嫌う少年でした。

 

 

そして多感な時期の少年を、公衆の面前で叩ける大人が、
ご立派に『君たちに野球を教えてあげるよ。』
と、どの面を下げて言えるのか?

 

 

今でこそ言葉で表現できるようになりましたが、
当事からそれに近い考えを私は抱いて生きてきたと思います。

 

 

『その子に、どんな家族がいるのか?』
それを考えつくことができる限り、
他人の頭を叩く心理など、生まれるはずがないのです。

 

 

手をあげることに限りません。
時折言葉だって、人を傷つける非情な武器です。
殴られている方がマシだと思えるほど、
無神経で鋭利な言葉で人を傷つけます。
参考:【人のやる気と、可能性を奪う言葉

 

 

他人の可能性を奪う・足を引っ張る。
『それはムリやねぇ。』
『それは無いわ〜』

 

 

ましてや、手をあげる。
『何をやってるんだ!(バシッ)』

 

 

何の権利があって?
大人は、人に何かを教える前に、
『どう』教えるかを繊細に考えるべきです。

 

 

そして、『なぜ』そうなのかを、
大人たち自身の言葉で、子供たちが納得できる
説明をできなければいけません。

 

 

私が学生の頃から、
世の中にずっと理不尽を感じて生きてきて、
納得のいく説明をしてくれる大人はいませんでした。

 

 

『そんなもんなんだよ。』
そう片づけたがる大人たちばかりだったのです。


大人は、子供を『救う』のではなく、『受け入れる』べき。

 

私は全ての大人が、子供を救えとは言いません。
それは人はみな、万能ではないからです。

 

 

ただ、救えないだけならともかく、
手をあげたり言葉で傷つけるようでは話になりません。

 

 

子供たちは、
『僕・私たちは、ここに居るんだ!』
そう思っているのです。

 

 

これは、子供に限ったことではなく、
社会に出た大人でも同じ事です。

 

 

そして、大人は子供の主張を『受け入れる』。
このことから始めなければ、何も始まりません。

 

 

思うに子供の主張を受け入れることができない大人は、
そのことをリスクと考え恐れているか、
自分のことだけで精一杯、つまり不自由なのです。

カッコ良い大人とは、何だろう?

 

私の地元は、今でこそ外国人が訪れるようになりましたが、
そうでない時期は、娯楽も少なく海外文化にうとい街でした。

 

 

ですので、
15でアメリカンスポーツや洋楽にはまった私に、
友達が沢山できることはありませんでした。

 

 

それでもグレて不登校になったり、
少年犯罪を犯したりすることがなかったのは、
ちゃんと私の話を聞いてくれる大人が、
周りにいてくれたからです。

 

 

『みんな、わかっていないんだ!』

 

 

私の若い不満や鬱屈(うっくつ)を聞き入れてくれて、
『そうだよね!』と解ってくれたのは母と姉。

 

 

そして、
『お前の好きなようにせい。』
と、私に自由という選択肢を与えてくれたのは、父でした。

 

 

身近にいて、もっとも長く一緒に
時間をすごしてくれる大人は家族なので、
その点は本当に恵まれたと思います。

 

 

ただ、
当然世の中には、
恵まれた家族を持たない子供がいることも、事実です。

 

 

『カッコ良い大人』と一言で言えばカンタンです。
…が、人を救うことは当然ちがいます。

 

 

カッコ良い大人など、
居なくても良いものですが、
『自由を感じさせてくれる存在』
『自分の存在を認めてくれる大人』

 

 

子供たちは、それを求めています。

 

 

 

追記

 

 

 

私の身の回りで、
両親が離婚し、母子家庭になった家族がいます。

 

 

父親からの暴力が原因と聞きますが、
当然言葉を持たなかった父親と、
そんな夫を選んだ母親両方に責任はあると私は考えます。

 

 

私は男女間のトラブルで、
一方的に男性が悪い・女性が悪いと決めつけることは、
あまり好みません。

 

 

お互いを選んだ責任が、男女両方にあるのですから。

 

 

そして、子供もいる以上は、
パートナーと子供たち、
両方含めて『受け入れ合う』姿勢こそが、『家庭』だと考えます。

 

 

『カッコ良い大人』などと
言ってもらえなくても良いので、

 

 

『この人が居てくれたから』
『この人が私の存在を受け入れてくれるから』

 

 

そう他人が自由を感じてくれるようになれば、
私は人として初めて、何かを残せることができたと思います。

 

 

それが今後も、この文章に心を寄せて下さった人にも
伝わりますように。

 

 

 

 

 

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