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自由や幸せが罪のような扱いっておかしな状況だと思いませんか?

 

自由や幸せが罪のような扱い:おかしな状況

 

近年『自粛(じしゅく)』という言葉が多様されています。
そのせいか、自由や幸せをうたう者に冷たい視線が…(^-^;
(私自身もその例外ではないのかな?)

 

 

それとも、自由や幸せという概念がどこかマヒしているのか…。
おかしな状況です。


発想・言論の自由

いきなりですが脱線します。

 

 

海外勤務時代、私は製造ミーティングに参加しました。
ザックリ言えば、製造過程で不良品を減らすにはどうすれば良いか?
…という内容の会議です。

 

 

データや不良内容。
散々それらしげな写真やグラフをプロジェクタで
映すわりには、いつまで経っても改善案が挙がりません。

 

 

それもそのはず。

 

 

データや不良内容をダラダラと説くだけで尺をかせぎ、
会議の時間が過ぎるのを大半のメンバーは待っているからです。

 

 

そして、改善という一つの目的に向けて
自由な発想と発言を誰もしないからです。

 

 

不良の原因はたった一つ。
不良の原因を分析しようとしない気概です。

 

 

詳しい内容は割愛させていただきますが、
最終的に採用された私の改善案は、

『製造品の急冷速度の変更』でした。

 

 

私たちの身の回りにたくさんある製造品。
そのうちの多くはプラスチック溶接の製造工程
を経たものです。

 

 

たとえばプラスチック接着が甘ければ不良品になりますが、
そのうちの多くは溶解や急冷温度が原因です。

 

 

プラスチックの接着が甘ければ、
普通に考えると接着温度の製造工程をいじれば
何かが変わると思います。

 

 

あっさりこの改善案が採用になったにも関わらず、
改善過程や結果が私の耳入って来なかったのは、
駐在日本人のいやがらせか現地スタッフの妬みかは
解りませんが、今となってはどうでも良いことです。


発想・発言の不自由は何か変。

さて、先述した内容はただの自慢話、果ては
駐在日本人や現地スタッフへのネットリベンジだと
誤解されかねませんので、この辺にしておきます。

 

 

脱線してまでこの話を1段落分書きました理由は、
『発想・言論の自由』は問題解決において最も大切
ということを説くためです。

 

 

私は他の記事でもくどいほどに書いていますが、
コミュニケーションの手段は何もアイデアや語学、
そして何かと見せびらかしやすい資格や優秀な
学歴でも職歴でもないのです。

 

@:あるものは使う。

 

A:できることは体現する。

 

B:ある技術と手を組む。

 

C:知識や経験を共有する。

 

私が先述した製造ミーティングで、
小学生でも描ける絵をホワイトボードに
書きながら、学生時代に学んだ化学知識を
ヒントに改善案を挙げることができたのは、
上記4つを忠実に実行しただけのことです。

 

 

それでも世話役駐在員にバッサリ言われたことが
『そんな絵は描かなくても良い。』
なのですから、不自由なものです。

 

 

自由な発想や発言が、この一言で
何となく否定された気分だったので、
『何か変だなぁ。』という気持ちになったのは、
この時期だったと思います。

何となく、イライラしてないですか?

数年前、ギネスブックにのる長寿番組が幕を下ろしました。
私たち国民はお昼休みを楽しみにテレビをつけて、
その番組を観ていたものです。

 

 

ところがうって変わって次に始まった番組は、
ワイドショー。

 

 

弁が立つタレントやお笑い芸人が淀みなく話し続け、
言葉の連射数が多く、情報も価値観も多く得られそうな
番組です。

 

 

しかし、何となく落ち着きがありません。
ザワザワしています。

 

 

お昼休みの時間帯なのに、
何となく、イライラした感じのテレビ番組です。
内容がワイドショーであるぶんバッシングも時にはあります。

 

 

みんなイライラしていると、自由や幸せが
何なのかわからなくなりますね。

 

 

 

もう一つ例を挙げます。

 

 

 

日本でそこらへんにあるファミレスや、
喫茶店でどうしても耳に入ってきてしまう日本語。
イライラした話をされている人もいらっしゃいます。

 

 

一方、フィリピンにて。
何を言っているのか確かに解りませんが、
意味不明のタガログ語を話している現地人。
ただ彼らは笑っているので、何となく楽しそうです。
(それが他人の悪口ならもちろんダメですが。)

 

 

精神的に身を置いてイライラしていない環境は、
一体どちらでしょうか?
(それは再来月現地で、あらためて実感して参ります。)

不幸な人生を『気に入っている』と演じる。

人生を幸不幸で測りにかけることは、
ハッキリ言って無意味です。

 

 

『幸せなら勝ち組。不幸なら負け組。』
などという形容も、所詮赤の他人が勝手に決める『雑音』です。

 

 

一番大切なのは、当の本人が
『自分の人生を気に入っているかどうか。』
だと私は思っています。

 

 

しかし、ここでタチの悪い心理状態を一つ挙げますと、
『不幸と思っている人生を気に入っている演技』をして、
生き続けていることです。

 

 

不幸な人生を『気に入っている』なら、
それを幸せと言っても良いのかもしれませんが、
この理屈がまかりとおれば、

 

 

『不幸と思える人生にこそ、幸せを見出せる。』
などと詐欺まがいなことを唱える人間も生まれていく
ということです。これ、歪んでますよ(^-^;

 

 

私なら、『明らかに不幸』と分かる状況で、
わざわざ幸せな演技をして負のエネルギーを
成長させてしまうよりは、

 

 

 

即、逃げます。

 

 

 

人は演技ができます。

 

・辛いのに『大丈夫』と言える。

 

・辛いのに笑顔を作れる。

 

・悲しいのに前を向ける。

 

・弱いのに強いフリをする。

 

身を置いた劇団で、演じることから
逃げようとする人は確かに罪人のような
扱いを受けるかもしれません。

 

 

しかし、私たちが本来生きている毎日は『本番』そのものです。
演技だけでまっとうできるような『中途半端』なものではない筈。

 

 

男優・女優賞を目指して演技だけ上手くなることが、
全ての人間に課せられた使命ではないのです。

 

 

私は自由や幸せのためなら、
演技を捨ててでも『本番』を生きるべきだと思います。
その本番そのものが人生なのですから。

 

 

 

追記

ホンネとタテマエ

 

 

 

人は演じることができます。
中には本当に職位や地位という男優・女優賞を
勝ち取れる人もいるでしょう。

 

 

その人たちが自由なのか、幸せなのか
どうかは全く別の話なんですけどね。

 

 

『もちろん、幸せに決まってるじゃない!』
…という『演技』も朝飯前かと思います。

 

 

ワイドショーやゴシップ雑誌受け入りのネタはとても便利です。
それらをネット社会や現実世界で、平気な顔で使い回し、
さも自分で生み出した話であるかのように『演技』できる人がいるようです。

 

 

演技の幅も広がりますね(^-^;

 

 

ただ、わかる人にはわかってしまいます。
それが『ホンネとタテマエ』です。

 

 

生き方の表現として、
『タテマエ』がジャマでしょうがない。
そんな気持ちで『ホンネ』を追いかけ回すと、
おのずとその答えが『自由』に行き着きます

 

 

本当の自由や幸せが罪人扱い…。
それは演技だけ上手になった男優・女優方々の
妄想でしょうか?

 

 

その妄想が、果たして真実かどうか?
これからも『本当の自由』のもと、
変わらず本番を生きていこうと思います。

 

 

 

 

 

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