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自由になりたいならオリジナリティを追及して下さい。

 

自由が欲しい人は、オリジナリティを追及すべきですか?

 

本記事は、ちょっと堅い内容です。

 

 

そして『オリジナリティ』という、
ちょっとめんどくさいようなお話についても
考察したいと思います。

 

 

一切興味が無い人は、どうぞそのまま戻られて下さい。


言論の自由は良いけど、個人の意志はそこにあるの?

 

私たちには『言論の自由』があります。
いかなる偉人の言葉でも、それが正当な目的
と認められると、引用して使用することができます。

 

 

私が時折有名な言葉を引用させていただくのも、
色々な物事を考察・研究対象にしているためです。

 

 

未だ『人権侵害だ!』と訴えられることはないので、
正当な目的として受け入れていただけているようです。

 

 

さて、
なぜ今回はこんなきわどいお話をしているのかというと、
『言論の自由』を盾にしてやりたい放題の人を見極める目を、
興味がある人には一緒に養っていただきたいためです。

 

 

たとえばYoutubeなどについては、こう考えるわけです。
『あなたの活動じゃないものを、なぜアップできるわけ?』

 

 

特にその行為が営利目的であれば、
アップロードした当事者の企みが見えてしまうわけですよ。

 

 

私がここまで考えてしまうのは、
長所短所そろってクソ真面目だからでもなく、
そこに当事者の意志がちゃんとあるのか、
普通に気になっているためです。

 

 

さらにその営利行動で、
まんまとお金を手に入れている人がいるのかと
思えば、これほど不条理なことはないと思います。

 

 

つまり、言論や表現の自由を盾にしたり、
知識のない素人や情報弱者を手玉にとって
好きなだけお金をまき上げている詐欺師には
気をつけたいですね、と言う話でした。

言論の自由vs人権侵害

 

次は少し視点が変わります。
お笑い芸人さんの話です。

 

 

芸風は十人十色。
あの人の笑いが好き・嫌いは別れるでしょう。
私も好きな芸人さん・嫌いな芸人さんは
ハッキリしています。

 

 

これは無意識に人権侵害を考えてしまうからです。

 

他人を小バカにしたりドッキリを仕掛ける方法。

 

自虐ネタを面白おかしく表現する方法。

 

ものまねを極めてさらにデフォルメする方法。

 

自由にお笑いを表現したい芸人さんの気持ちも解ります。
それでも人権侵害に引っ掛かってしまえば、
その芸風が否定されたり、最悪訴えられる場合があるんですね。

 

 

芸人側が主張できるのが当然『言論・表現の自由』です。
これを盾にすれば強行突破できる芸もあるでしょう。
そうでなければ、他人をバカにする笑いまでもが、
テレビで放送されることはありえないからです。

 

 

これらの笑いが視聴者の感性に及ぼすものは、
笑いの限りではないのでしょうが、
『それは本人と家族、周りの人たちが責任を取って下さいよ。』
…と言ったところなのでしょうか?

 

 

つまりは、
『言論の自由』と『人権侵害』のバトルは終わりが無く、
この水掛け論に仲介してコントロールする第3者の存在も
重要なんですね。ここまで考察するとさらに知識を要するので、
一旦置いておきます。

 

 

それだけ『言論の自由』と『人権侵害』は複雑で、
逆説的に言えば『あいまい』なテーマです。
『言ったもん勝ち』・『黙ったもん負け』の範囲で
物事が決まる事件も沢山起こりそうですね。

 

 

そんな無法地帯に、
『お金が全て』感性の人間が参戦すると、
詐欺商法で莫大な富を得る人間が増えていくわけです。


オリジナリティは、無ければダメなのか?

では、さらに視点を変えて、
オリジナリティについて考えていきます。

 

 

Youtuberの誰かは、
自分の好きなアーティストの動画をネット上に
上げては、何かしらの利益を得ているかもしれません。

 

 

しかしながら、アップした作業は残れども、
アップしたあとは自分の意志のないページが
誕生するだけですね。
(何かしらの意志を示すことはできるのでしょうが。)

 

 

作業の苦労はあれども、
そこにオリジナリティはありませんね。
社会貢献になっていれば話はまた別ですが…。

 

 

では、オリジナリティは無ければいけないのでしょうか?

 

 

オリジナリティと言えば、
何だか仰々しいし、カンタンに生み出すことは
できないかもしれません。

 

 

これに対する私なりの考えは、
『当然必要。但し生み出すまでのルーツは欠かせない。』
です。

 

 

たとえば、
有名なサッカー選手が、
生まれてこのかた何かに感化されないまま、
そのままサッカー選手になったことは、
あまり考えにくいですよね。

 

 

メッシもロナウドも、彼らが子供のころは
あこがれた選手のムーブを真似るのです。
それがマラドーナ等の往年の名選手です。

 

 

ワンピースの作者も、先人であるドラゴンボールの作者に
影響を受けて、マンガ家の世界に登場したのですね。

 

 

オリジナリティを生むためには、
まずは大元になるルーツが必要なのです。

 

 

私の大学時代に、
『誰でも最初は猿真似から始めたんだ。
じゃあ、成功している人間の真似から始めようぜ。』

こう言い聞かせてくれた先生がいました。

 

 

確かに大きく振り返ると、
私たち人間は親のしゃべっている言葉を
物心も無く何となく真似て言葉を覚えてきました。

 

 

そして、大元を築き上げたうえで、
自分が感じたものをさらに構築する。
それを自分なりの言葉や行動で表現する。
これがオリジナリティなんですね。

 

 

大元になる土台も何も無く、
ただ気に入ったものやムダに莫大な金額をエサに
大金を稼ぐ・稼がせる・貢がせる環境には、
『依存』や『不自由』が蔓延していると思います。

 

 

 

追記

自由とオリジナリティ

 

 

 

私はメールセミナーの冒頭でも発信していますとおり、
『自由を実現するためにはまず常識は不要である。』
ことを説いています。

 

 

それは、『常識』という言葉が、考えようによっては
曖昧な内容で、さらにその他人を振り回すような雑音が、
不自由を生む一番の原因だと考えるためです。

 

 

常識という言葉は、完璧ではありません。
法律すら完璧ではありません。
それは、常識と法律を作ったのは、完璧ではない人間たちだからです。

 

 

そのために常識も法律も社会や時代と共に
変化・進化し続けているのです。

 

 

そんななかいつの時代でも変わることがないものが、
『人と人をつなぐ精神と行為』です。

 

 

その表現方法が、私の場合はたまたま『語学』や
『自由の実現』になっただけのことです。

 

 

オリジナリティは、一見強そうで不変のような
表現です。それでも、実は変わり続けています。
なぜなら、人も同時に変わり続けるからです。

 

 

結局オリジナリティを求めない人は、
変化も無く、不自由でも良いから
他人に依存している方がラクなんですね。

 

 

この時点で勝負は決まっています。

 

 

『自分にオリジナリティなんて無いし、見つける
ことができない。だけど、他人に依存する不自由な
人生はやっぱりイヤなんだ。』

 

↑↑↑
勝負はここからです。

 

 

物心無くここまで生きてきた人なんていませんし、
自分を創りあげたルーツも解っているハズ。
勝負に勝ち『本当の自由』を得るためには、自己分析から。
そして、あとは問題解決していくだけですね(*^-^*)

 

 

 

 

 

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