本気で脱サラを考える人は公言などせず、静かに決断する。
新しい思考回路が生まれる。
サラリーマンとして雇われの身だった時代。
毎月決まった給料のために、
決まった人間関係と時間のもと、
自分の自由をすり減らして生きてきました。
そもそも『自由』の意味すらはき違えていましたし、
世間一般で言う『リア(ルが)充(実している)』な
人たちを愚かにも妬んでいた時期です。
何度も何度も他記事で申し上げる通り、
『自由』とは『自らに由る』行為なので、
自分自身の意志に沿い行動できない人が
不自由だと言えます。
事実サラリーマン時代の私は会社に依存していましたので、
『自由』の意味を理解していないうえ
『自由』な人に憧れているくせに妬んだりしていました。
妬みを重ねているうちに、だんだん自分が惨めに
感じるようになって、いつしか一人で考えるようになりました。
A:飼い犬のような生活が当たり前になっているが、
本当にこの人生が自分の人生なのだろうか…?
B:いや、飼い犬なんてとんでもない。
お天道様のもと、健やかに、今日も同じように
生きることができるのは有難いじゃないか。
一体、どっちが正解なんだろう?
毎日グルグルとこんなことを考えているうちに、
そのうち飽きてくるようになります。
思考回路も新しく切り替わります。
↓↓↓
脱サラって何だろう?
脱サラって自分でもできるのかな?
脱サラって自分にはまだ早いかな?
脱サラした人ってどんなカンジだろう?
サラリーマン思考はまだ残しつつも、
こうやって少しずつ新しい『たくらみ』を
心に宿すようになります。
誰にも言えない。触れさせない。
冒頭通り、脱サラを決起する人は、
わざわざ人に公言することもありません。
特に本気度が高い人は。
もちろん会社を辞めたりしても
つながりを持ってくれる人や、
逆に一切音沙汰なくなる人もいます。
そこがサラリーマン思考だけの人か、
ほかの考え方にも積極的に理解を示してくれる人の
明らかな違いです。
わざわざ『私、脱サラします。』なんて
人に言い伝えること自体ナンセンスですね。
そして、脱サラ。
つまりはサラリーマンの生き方・思考を脱却する為には
ご本人さんのゆるぎない鉄のような決意が大切です。
そこには『常識』とか、『他人の雑音』を
一切シャットアウト(遮断)する必要があるので、
誰にも干渉させない。触れさせない気概も要るのです。
脱サラの本気度が強いほど、
わざわざ他人に言う必要も無い理屈は、
このことからご理解いただけるでしょうか?
どうあっても反論したりケチをつけたがる人は、
脱サラ経験がない人の中には特にたくさんいます。
事実サラリーマンとしてがんばってきた私の父とは
何度もケンカをした経験があります。
留学、海外就職、転職、脱サラ…。
今思い返せば、私は父の生き方とはまるっきり正反対です。
一切後悔などしていないのですが(^-^;
伝わる人には伝えたいし、それ以外はどうでも良い。
耳心地が良い言葉ばかりではシャクなので、
少しドロっとした話を。
この国がそうなのかどうかはわかりませんが、
『モラル』だ『倫理』だとお高くとまった人が
社会を語ることにも物申したいと思っています。
就職が正義なのか、会社の歯車でいることが常識なのか、
そんな『働き方のモラル・倫理』を能天気に語ることができるのは、
本当に恵まれた環境にいるか、お育ちが良い人だけです。
『子供のために良くない』?
『教育に悪い』?
いつからその人たちのモラルや倫理は確立されて、
いつからその恵まれた人間だけが甘いミツばかり
味わってるんですか。
育ちが良かろうが、恵まれた環境にいようが、
悪いことする人は悪いことするでしょ?
たまたまエリートコースを歩まされてきた子供だって、
そうです。
大きくなればそのままノウノウと会社の特権階級に
居座って、指をくわえて待っていれば上長のイスが空くか?
それともそんな依存だらけの環境を見切って
学んだ知識と経験をもって自分で生きていくか?
生い立ちも倫理観も、生き方の表現に自由がある以上、
『本人の問題』でしょうが。
脱サラが落ちこぼれ?
会社というアリの巣みたいな狭い世界にいる人間が、
中途半端で説得力ない正義感をふりかざすなっての。
…熱くなりすぎてしまいました。
乱文ご容赦下さい(^-^;
私が言いたいことは、
モラルや倫理を語る前に、人が人らしく生きていく為に
お互い理解や相互成長のために時間を使えということです。
少なくとも、
ヒマな時間を持て余して他人の生き方を冷やかしたり
誹謗中傷するような無益な浪費ではないんですよ。
浪費に自分の時間を費やすことほど、
自分の無知を拡散する行為はないですから。
自由を理解されている人であれば、
そのことは当然理解できるでしょう。
私は伝わる人にはどんな手段を使ってでも伝えたいし、
それ以外はハッキリ言ってどうでも良いんです。
理解してくれる人は必ず居ます。
そうでなければ脱サラした人間が
前を向いてこうやって生きている現実など
ありえないからです。
そして、今の時代には私以外にも
こんな仲間はたくさんいるんです。
追記
腹をくくった脱サラは会社を凌ぐ。
あのホリエモンさんが記した著書にはこうあります。
覚悟を決めた個人は国家よりも強い。
この理屈にあやからせていただくと、
勇気を振り絞って脱サラをした人は
理屈抜きにリスペクトされるべきですし、
会社など目ではないということです。
これは、『脱サラした私をリスペクトして!』
…といったお話ではないですよ(^-^;
何でも自分で決めて、自分の意志を行動にできた人は、
お金と人が離れてしまったとしても尊敬されるべきで、
その理解に我々は時間を使うべきだということです。
その有益な時間の使い方は、
一つの狭い世界にいるだけではどうしても理解しがたく、
やはり『自由』とうたう人は冷笑されがちのようです。
(あくまで私個人の独断・偏見ですので誤解無きよう。)
さて、この記事にここまでお付き合い下さった
あなたへ。
常識・脱サラ・転職・結婚・自由…。
勇気が要ること全てのことです。
この記事は、少しでもあなたの考え方に
刺激を与えることができたでしょうか。
刺激の後押しもお手伝いできますので、
もしよろしければご参考までに。
⇒ 自由を知り、実現させる。
(常識も、複雑な知識も要りません。)
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