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信じていたものが無くなったら、あなたはどうしますか?

 

信念が人を行動に突き動かすことは間違いないと思います。
そう考えると心と体って、連動していますね。

 

 

在職・転職・退職・脱サラ…
人には信じているものがあるから、
それぞれの生き方をがんばることができるんですね。

 

 

逆に何も信じないまま行動してる人って、
かわいそうなのか、誰かに依存してるのでしょうか…?
よくわからないので色々考えてみました。


信じていたものが突然無くなる時ってどんな時?

 

大昔から、人間は宗教というものに心を寄せました。
その中にはボスがいて、『教祖さま』とか『教主さま』
なんて呼ばれては神のように崇められてきたと思います。

 

 

現代もなお宗教が無くならないのは、
人が争いや理不尽、憎しみや悲しみを
上手にコントロールするためでしょう。

 

 

趣味とかも、ある種宗教的だと思います。

 

 

例えば、私の趣味は音楽でよくライブ公演に出向きますが、
同じ『音楽』でも、興味のないバンドのコンサートには
足を運ばないわけですよ。

 

 

そこには『嗜好性』というものがあり、
極論を言えば宗教的な概念が関係しているからです。

 

 

ちょっと屁理屈くさいので、この辺にします(^-^;

 

 

さて、もしも…
『音楽』や『宗教』がこの世から無くなるとすれば?

 

 

国や社会の取り決めで、
『お前たちの触れている文化は反社会的なものだ!』
『だからこれら文化に触れる権利を、いまからはく奪する!』

 

 

そう言われたとしても、
信者からすれば、その取り決めはただの詭弁です。
国や社会の取り決めだとして、その後に拘束されたとしても、
きっと文化に救いを求め続けるでしょう。
そこには(生き方の)表現自由があります。

 

 

自由と愛は法律で裁くことはできないのです。

 

 

そうではなくて、もっとも怖いのは、
『ある日自分が信じているものが信じられなくなった時』です。

 

 

これが本当の意味での、
信じていたものの『喪失』と言えるでしょう。


もう、どうだっていいや。

 

ドイツの哲学者ニーチェが、
『神は死んだ。』という言葉と共に、

 

 

ニヒリズム

 

 

という言葉を世に残したことは有名です。
この『ニヒリズム』。どういうことかというと、

 

 

例えば『裕福な者は貧しい者を救え』とうたう
教えが、ある人にとっては『道徳』なのですが…
いざ現実世界に目をやれば、

 

 

『裕福な者はどんどん裕福を極め、
貧しい者もまた、どんどん貧しくなっていく。』

 

 

この現実を知り、
『裕福な者は貧しい者を救え』という教えを信じられなくなる。
…というお話です。

 

 

これはつまり、その人が『道徳』として信じてきた教えが、
社会的に『喪失』してしまっているので、

 

 

『一体何を信じて良いのかわからなくなる!』
…といった事態が、その人に起きてしまうことです。

 

 

そのまま、信じていたものの喪失ですね。

 

 

さてここで、もっと怖いことが起きます。
『何を信じて良いのかわからなくなる!』
『せっかく信じて一生懸命生きてきたのに!』

 

 

白状すれば、
私はこんな気持ちになったことが何度もあります。

 

 

信じる者が救われるなんて、ウソじゃないか!
馬鹿げてる!

 

 

最後はひとこと。こんな気持ちに。
『もう、どうだっていいや。』

 

 

『人生そんなもんだ。』って、
思考停止を表す一番危険な心理状態なんですが、
これは見事にニヒリズムということになります。

だったらこうすれば良いんじゃないか?

 

ニヒリズム。
『もう、どうだっていいや。』は、
生き方の思考停止につながる大変危険な心理です。

 

 

思考停止すると何が起きてしまうかというと、
『他人に依存する。』です。
これ以降は不自由のデススパイラルが待っています。

 

 

しかも他人に依存するぶん、他人の自由やお金まで
食い物にしてしまう始末におけない状態になってしまいます。

 

 

良いこと何一つ、ありませんね。

 

 

 

それでも、実はこれがニヒリズムの全てではないようです。

 

 

 

そして、もう一つの側面からニヒリズムを見れば、
良いこともあるのです。

 

 

『信じるものを失ってしまった!』
『もう、どうだっていいや。』
実はスタートって、ここからです。

 

 

『だったらこうすれば?』
『じゃあ、自分はこうしよう!』

 

↑↑↑
これが不自由のデススパイラルを回避するスペル(呪文)ワードです。

 

 

これってどういう意味かというと、
カンタンに言えばポジティブ思考です。

 

 

さらに分析して言えば、
『新しい価値観を、自分の力で切り開く。』
という非常に生産的な心理状態です。

あなたはどっち?

 

ニヒリズムについてつらつらと書きました。

 

 

ここまで、ニヒリズム(信じていたものの喪失)に
陥ったときに考え付く心理状態をまとめると、

 

【ニヒリズム状態のときの心境】

 

・もう努力なんてバカバカしいや。

 

・何やってもうまくいかないよ。

 

・自分が頑張るだけ損。

 

・やってらんねー。

 

 

加えて、不自由回避のキーワードはこれらです。

 

・当てにならん。自分でやろう。

 

・自分はこうしよう。

 

・だったらこうすれば?

 

 

ニーチェはこれらの心理状態を2分しています。

 

 

『もうどうだっていいや』
⇒これが、@:受動的ニヒリズム

 

 

『自分は、こうしよう!』
⇒こちらが、A:能動的ニヒリズム です。

 

 

こうまとめると、人によって
『信じていたもの』を喪失した時、口にする言葉だけで
その人がどんな人生を生きていくのか直ぐ解りますね。

 

 

不幸な人が自ら不幸な道を進んでいくのは、
@:受動的ニヒリズムに思考が支配されているからです。

 

 

私自身、
何度もこの受動的ニヒリズムに陥りかけた時期がありました。

 

 

『信じる者だけが救われる』という、
ウソや馬鹿さ加減に何もかも放棄したい気分でした。

 

 

それでも今、こうして前を向いて人生を歩めて行けるのは、
これまでの自分の行動を見守ってくれていた家族や友人、
恋人が理解を示してくれたからです。

 

 

そしていくら考えても答えが出ない日もありました。

 

 

自分には『行動』だけが残りました。
その行動で、誰かがまた私に手を差し伸べてくれました。

 

 

信じるものを失ったとしても、
考え方ひとつで人生は180°違うものです。

 

 

@:受動的ニヒリズム

 

A:能動的ニヒリズム

 

 

あなたはどっちですか?

 

 

 

追記

価値観と考え方の矯正

 

 

『あの鐘を鳴らすのはあなた』という楽曲があります。
歌手、和田アキ子さんの名曲ですね。

 

 

この曲の詞は、故人:阿久悠さんが和田アキ子さんに向けて
『一生渡って歌い続けることができる曲を書いてあげる。』
そうおっしゃられたことは、有名なエピソードのようです。

 

 

事実、時代や世代が移り変わり続けても、
長く歌われ愛される曲になりました。

 

 

『あの鐘を鳴らすのはあなた』
このタイトルそのものが、自発性を促しているわけです。
これはそのまま、前述した能動的ニヒリズムに近いスタンスだと思います。

 

 

逆に、何でも『もういいや』とふてくされてしまう人は、
過度に他人に依存していたことも解ってきます。

 

 

私はこういった心境には、もう2度と陥りたくないので、
いつからか、何事にも『期待し過ぎない』クセをつけるようにしました。

 

 

『他人を信じない』 と 『期待しない』

 

 

は、同義ではないんですね。

 

 

ここから私自身の『価値観と考え方の矯正』が
始まったと思います。

 

 

新しい価値観と考えを、自分の生き方に昇華する。

 

 

これだけで心はすぐに自由になります。

 

 

最後までお付き合い下さったあなたは、
こう考えていたことがあるかもしれません。

 

 

『自分も、自分の考えがある。』

 

 

『一度きりの人生、自分の価値観を大切に生きていたい。』

 

 

心当たりはありますか?

 

 

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